【パブリック・リレーションズ(3)】第二の柱「双方向性コミュニケーション」

日本パブリックリレーションズ研究所、パブリック・リレーションズ for School 導入アドバイザー 木野雄介
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今回は、パブリック・リレーションズ(PR)の三つの柱の二つ目である「双方向性コミュニケーション」について、私なりの考え方をお伝えしようと思います。

この双方向性コミュニケーションを『パブリック・リレーションズ for School』のテキストでは「対等に対話を重ねること」と表現しました。

「対等」とはどういうことでしょうか?

多くの先生は、「先生と生徒は『教える側』と『教わる側』なんだから、対等なんてあり得ない」と思われるかもしれません。この「対等」という言葉を「地位や立場のことを指す」ことだと誤解してしまうと、ここからの話が全く入ってこなくなるので、いったん「地位や立場も対等になれ、と言っているわけではないんだ」とご理解ください。

では、改めて「対等」について解説していきましょう。

PRでいうところの「対等」とは、情報の発信側と受信側の双方が持つ情報の量や理解度が「対等」という意味で用いられています。

例えば、ある先生が、「次の授業までに86ページまでやって、丸付けして提出しなさい」と、宿題を提示したとします。先生は「この宿題をやることで、こんな力が身に付くだろう」という予測(=情報)を持っていますが、出された方の生徒はその情報を持っていません。この状態では、生徒側の目的は「宿題を提出すること」になり、ノートを仕上げるために答えを写す「作業」に励むことになるでしょう。

このようなミスマッチを回避するためには、双方の情報が対等である必要があります。

「この宿題をやると、こんな力が身に付くようになります。そして、次回の授業はこの理論を応用するので、各自マスターしてくるように」と、先生側の意図・目的をオープンにすればよいのです。

このように、PR的に考えられる先生と生徒であれば、「宿題の提出」という約束は必要なくなります。「でも、そんなことをしたら、生徒は宿題をやってこないだろう」という声が聞こえてきそうです。

そこで、必要なのが「対話」です。

教員と生徒の間で、宿題の意図や目的を「対話」によって「合意」するのです。この対話の過程で「私はすでに十分理解できているので宿題をやる意味がない」という生徒や、逆に「今日の授業だけでは理解できなかったから、この宿題は無理」という生徒が出てくるかもしれません。

ですので、PR的に考えると「宿題を一律に提示する」という行為は、論理が破綻しているとも言えます。特に、夏休みなどに見られる「ワークブックを丸々1冊、自分で答え合わせをして提出」という宿題は、ほとんど意味がないのでやめた方がいいと私は考えています。


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