【社会をつくり出す武器としての言語活動(10)】人権が語り落とすもの①

自由学園男子部教諭 高野 慎太郎
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2020年5月25日、米国で黒人男性のジョージ・フロイドさんが警察官から暴行を受けて死亡する事件が起きた。その時期、授業ではコロナ禍について扱っており、「言葉が語り落とす文脈」について議論をしていた。事件を受けて、生徒から「『人権』という言葉が語り落とす文脈は何か」と質問が寄せられた。

そのため、コロナ禍の単元が一段落した後、「人権が語り落とすもの」という単元を行った。授業は、私が事前に集めておくよう生徒たちに指示した米国の人権運動や人種差別問題に関する資料の検討から始めた。フロイド事件に関する新聞記事やニュース映像、米国に暮らす日系人のインタビュー映像、関連する音楽や映画などが集まった。

検討過程で焦点となったのは、米国における警察の捉え方である。ルポルタージュやドキュメンタリー映画を見ると、警察は差別の温床のように描かれている。この点を捉えて、警察を糾弾する生徒もいた。

しかし、別の生徒が集めた資料には、米国の警察が意識改革に取り組んでいることを示すものもあった。人種差別を解消するための講習や、銃を持つ相手を説得する方法の講習をしながら、警察も自己改革に取り組んでいるのだと弁護する生徒もいた。

対立する資料を突き合わせて考えてみると、よく言われる「警察対マイノリティー」といった構図で今回の事件を読み解くのは不十分であるという意見が出てきた。

そこで私から「ポリス」という言葉は元来、「古代都市国家」を意味しており、国家を守る存在が「ポリスマン」であったこと、時代が下って戦争を担う「軍隊」と保安を担う「警察」に分化した経緯があることについて説明した。

つまり「警察」とは「国民の安全を守る存在」であり、その仕事は「危険の排除」にある。すると生徒から「国民とは誰を指すのか」と質問が出た。私は「そこが問題なのだ」と強調した。

「誰が国民なのか」は自明ではない。同じように「誰が人権を持つのか」ということも、実は自明ではない。本来人権は「自然権」であるという理念に反して、「人権」を持つための「前提」が必要となってしまっている。その「前提」を問い直すことが「人権が語り落としたもの」を考察することにつながるのである。

ここまで説明した上で、私は生徒に思想家のハンナ・アーレントを紹介した。ユダヤ人であるという理由でドイツを追われ、アメリカに亡命しても無国籍状態が続いた彼女は、その経験から著書『全体主義の起源』で人権問題を提起している。「次回はこの文献を読んでみよう」と提案して、この日の授業を終えた。


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