【社会をつくり出す武器としての言語活動(11)】人権が語り落とすもの②

自由学園男子部教諭 高野 慎太郎
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「人権が語り落とすもの」について考える単元の2回目の授業では、ハンナ・アーレントの略歴を紹介した上で、著書の『全体主義の起源』を抜粋して読んだ。アーレントは、人間が人間であるだけでは人権は付与されず、人権を得るためには「足場」が必要だと指摘する。

では、どのようなときに、人は人権の足場を失うのか。アーレントはそれを「言葉」を喪失したときだとしている。「語られた言葉」が意味を持たず、「言葉」によって公共空間を営むことができなくなったとき、つまり「口の死せる者」となったときに、人は人権を失うと説いているのである。

前回の授業で、生徒は「フロイド事件」を報じるニュース映像を見て、フロイドさんが発した「息ができない」という叫びを聞いていた。そのため、極めてリアリティーをもって「口の死せる者」という言葉を実感することができた。

また、ある生徒は、前回のニュース映像を見て「問答無用」という言葉を授業の感想として書いていた。私は、そのコメントを引用して「問答無用」とは「言葉が意味を持たない」ことなのだと解説した。

さらに関連する文献をいくつか読んだ後、フランスの哲学者ジャン・フランソワ・リオタールの「人権について」という文章を読んだ。リオタールは、上記のアーレントの議論を引きながら、「人間が同類となる条件とは、全ての人間が他者の姿を自分の中に持っているという事実」だと説いた。

続いて「自分の中に他者の姿を持つとは、どういうことだろうか」というテーマで、グループ討議を行った。授業では、このような価値判断を伴う議論をよく行う。当然、生徒の意見は分かれるが、「『変身』できるまで相手の話を聞く」というルールを設けている。

対立する相手の意見について、その根拠を全て聞き出し、相手の論理展開を自分で説明できるまで理解する。そのように相手の視点や意見に「変身」することで、「意見は違うが相手の意見を尊重する」という場が生まれる。さらには議論を集約する際にも、生徒が自分の意見を全体に共有するのではなく、「変身」した相手の意見を全体に共有する方法をとっている。

相手の言葉を受け取り、相手を通して表現される自分の意見に耳を傾ける中で、何らかの合意が生まれる。つまり、対話においては、「相手」の中に「私」の言葉があり、「私」の中に「相手」の言葉がある。これが「私」と「あなた」の共通部分(common)を見つけること(communication)なのであり、「他者の姿」を自分に見いだすことなのではないかと考えている。


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