【自学自習ノート(2)】ドリル宿題とは何なのか

水戸市立石川小学校校長 豊田 雅之
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小学校で毎日出される宿題は、パターンがほぼ決まっているのではないでしょうか。主たる内容は、計算ドリル、漢字ドリル、音読です。私は、ドリルや音読を否定するつもりはありません。ドリルも音読も大きな学習効果があり、学習習慣を定着させたり、基礎基本を徹底させたりする上で必要なものだと思っています。

今やっているドリル宿題とは?

しかし、問題は「出し方」です。ドリルでは一般的に、クラス全員に向けて「今日は○○ページ」とか「○○問題を2回やる」といった形で、一律に課題を出しています。子供一人一人の実態に対応した出し方ではありません。

子供によっては、完全に習得している内容が、宿題として出されることもあるはずです。本来ならやらなくてもよいような課題ですが、宿題なのでやらなければいけません。その他にも、宿題自体が嫌いな子もいます。クラスにはいろいろな子供がいるはずなのに、担任の先生からは一律に課題が出されているのです。

さらには、ドリルを何回もやらせることもあります。同じ問題をノートに2回書いて、3回目はドリルに書き込んで終わる、という感じです。この回数が過度になってしまい、保護者から苦情を言われることもあります。

それでも、真面目な子供は一生懸命にやってきます。時間をかけて、場合によっては眠い目をこすりながら、ひたすらノートを文字で埋め尽くすわけです。同じ漢字を書いていると、雑になってくることもあります。計算の場合は、答えを覚えてしまうこともあります。

こうなってくると、学習というよりは「ただこなすだけの作業」になってしまいます。私の知り合いの先生は、「まるで写経だね」と言っていました。与えられた課題に対して疑問を持たず、(誤解を恐れず言えば)従順にやり抜いて、先生に褒められる児童を育てている。そんな状況になっているような気がしてならなかったのです。

ドリル宿題がいつから始まったのか、調べたわけではありませんが、おそらく富国強兵で欧米に追いつけ追い越せの時代に始まったのではないかと思っています。背景には「日本国民全員の平均値を上げる」という目標があったのではないでしょうか。

でも、時代は変わりました。子供たちに受け身型の宿題をさせている間に、日本は諸外国にどんどん抜かれてしまいました。ドリル宿題をやっているだけでは、先行き不透明な未来を生き抜くことができない、と私は思っています。


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