【コロナの先の学習評価の行方(13)】自己教育力の育成をどう捉えるか

京都大学准教授 石井 英真
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コロナ禍を経て、格差を生じさせないためにも、子供たちが自分で主体的に学んでいけるようにすること、「自己学習力」や「自己教育力」の必要性が強調されています。

教育における評価活動の三つの目的(出典:石井英真『今求められる学力と学びとは―コンピテンシー・ベースのカリキュラムの光と影』日本標準、2015年)

今回の学習評価改革でも、形成的評価研究の近年の動向を踏まえて、教師が評価を指導改善に生かす「学習のための評価」のみならず、学習者自身が評価を学習改善に生かしたり、自らの学習や探究のプロセスの「かじ取り」をしたりする「学習としての評価」の意義が強調されています(表)。そして、学習者自身が自らのパフォーマンスの良しあしを判断できるようにするには、授業後の振り返りや感想カードなどで、学習の意味を事後的に確認・納得するだけでは不十分です。

大切なのは、学習の過程において目標・評価規準とそれに照らした評価情報を、教師と学習者の間で共有することです。これにより、学習者自らが目標と自分の学習状況とのギャップを自覚し、それを埋めるための手だてを考えるよう促すことが必要となります。作品の相互評価の場面や日々の教室での学び合いや集団討論の場面で、良い作品や解法の具体的事例に則して、パフォーマンスの質について議論する(学習者の評価力・鑑識眼を肥やす機会を持つ)。そして、どんな観点を意識しながら、どんな方向を目指して学習するのかといった各教科の卓越性の規準を、教師と学習者の間で、あるいは学習者間で、対話的に共有・共創していくわけです。

ただし、「自己教育力」の強調については、落とし穴もあるように思います。子供の学びへの注目は、「教えっぱなしにしない」という教師の責任の先に意識化されるものです。言葉だけが独り歩きすると、教師の責任放棄(「授業からの逃走」など)、子供の自己責任論に陥る危険性があります。「自己教育力」的なものの強調は、その概念のあいまいさゆえに、その語り(学習内容なども含め、自分で自分に何が必要かを判断して学校がなくても自分で学び切ること)と実態(教えられなくても自分なりに工夫しながら調べたり学んだりするといった、ちょっとした学び方)には、しばしばずれがあります。コロナ禍で重要とされた「主体性」は、自習力のように、学習(勉強)への主体性に矮小(わいしょう)化されていないでしょうか。

勉強への主体性に閉じない生活(生きること)への主体性、社会への責任が重要です。発問などを通して現実世界を指さす、内容を伴った認識の揺さぶりと関心の広がりの重要性が再確認されねばなりません。


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