【コロナの先の学習評価の行方(14)】一斉休校が学びの保障に投げ掛けた課題とは

京都大学准教授 石井 英真
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学びの遅れとその回復とは、どういうことでしょうか。授業を進められてないのが「遅れ」で、国が特例的な年間指導計画を示してくれたら、それを遂行して「回復」というのでは、形骸化した履修主義と言わざるを得ません。授業を通して、何がどのような形で身に付いていれば学んだと言えるのかという問いに向き合い、学習成果に注目してそれを保障していく修得主義寄りで考えていくことが必要です。

教育課程の履修原理―履修主義と修得主義

他方、修得主義が、結局はペーパーテストの問題が解ければよいという考えに陥るのには注意を要します。教科の授業で保障してきたもの、物事を知るということは、AIドリルで代替できるほど単純なものではありません。

休校明けに、成績付けに関係しないことを伝えた上で、子供たち一人一人の学習状況を確認する作業は必要だっただろうと思います。その際、問題が解けたかどうかだけで評価するのでは、子供たちの隠れたニーズを見落とすことになるかもしれません。例えば、「78―39=417」と答えた子供は、計算の手続きを正しく習得できていないというレベルではなく、数の量感がイメージできていないわけです。もっと言えば、そもそも算数の計算を現実世界とは全く関係のない記号操作としか捉えていないのかもしれません。手厚くフォローされるべきは、意味や学び方のつまずきであって、学校で生活しながら学ぶ授業が力を持つのはこの点においてこそなのです。教科等横断的にカリキュラム全体を見直す際には、子供たちが学校という場をどう経験し生きているかにも思いをはせ、パブリックなつながりの中で、知的で文化的な生活のリズムを保障していく視点も必要です。つながりと生活の中で長いスパンで学びと成長を保障していく、履修主義のエッセンスを生かしていくわけです。

また、「内容は網羅しなくても意欲や学び方が高まればよい」と、内容習得という量的問題を安易に手放すのも危ういと言えます。深めるべき核となる内容を精選・明確化することで、中心的な概念を深く学んで思考力・判断力・表現力の育成を重視するという、新学習指導要領が提起していた趣旨も実現できるでしょう。量が一定の質を担保することも真ですが、「less is  more」(少ない内容を深く学ぶことでより多くを学べる)という言葉が示すように、質が量を担保することもまた真なのです。

生体情報を含む授業中の学習ログを逐一記録する評価方法も出てくるかもしれませんが、それは「指導の評価化」と管理強化のリスクを伴います。オンラインで社会全体がジョブ型へとシフトしていること、学校でも修得主義にシフトしていることを生かして、指導や学習にべったり張り付いたプロセス評価から、舞台づくりとしての評価へのシフトを進める必要があります。


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