【なぜ学校改革を進められたのか(3)】「最上位目標」で対話がこう変わる

立命館守山中学校教諭 加藤 智博
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一つ、エピソードを紹介します。麹町中の文化祭「麹中祭」の最上位目標は、「見ている人全員が楽しめる麹中祭」です。

麹中祭は、生徒会行事に位置付けられており、生徒会役員が有志生徒らを募集し、麹中祭実行委員会をつくります。そして、半年以上の月日をかけて、その最上位目標の実現に向けて企画・運営を行います。

生徒主体の行事とはいえ、教員たちも全力で支援をします。ある時、実行委員の生徒が、「ダンス部の舞台発表の時に、観客がサイリウム(ライブ会場でよく使用される蛍光ライト)を持てるようにしたい」と、ある教員に相談に来ました。その声は、近くにいた私の耳にも届きました。私のこれまでの教員人生で、そのようなことを許可した経験は一度もありません。正直、なんとなく言葉にできない拒否反応もありました。

しかし、そこでその教員は、「先生が今まで勤めていた学校では使用したことがないなぁ。ちょっと驚いたな。サイリウムを使用するのは何のため?最上位目標に照らし合わせて、見ている人全員がそれを使うことでさらに楽しめるのならいいんじゃない?そこの判断基準は先生たちの経験や好き嫌いではないもんね。ただ、それを使った時、どんなことが起こりそう?起こりそうなことを予測して、見ている人たちが本当に楽しめるように作戦や対策を考えないとね。実行委員内でも共有して進めよう」と返事をしていました。

どうでしょうか。なかなか珍しいやりとりではないでしょうか。「前例がないから認められないな」「そんなのは中学校の文化祭にはふさわしくない」「校長先生もしくは生徒指導担当の先生の許可が必要だ」といった言葉はありませんでした。

ここで注目してほしいのは、判断基準です。判断基準がこれまでの前例の有無や教員の指導観、経験値ではないということです。判断基準は、「見ている人が全員楽しめる」という最上位目標の実現に近づけるか否か。常にそこに立ち返りながら、生徒も教員も対話を重ねます。

そのアイデアが最上位目標に近づけるアイデアならば、不安材料があるからやめるのではなく、どうすればその不安材料をなくせるかと考えます。すると、教員内の言葉も自然と「どうすればできる?」に変わっていきます。ミドルリーダーとしての役割があるとすれば、常にこの最上位目標に立ち返りながら進める対話を浸透させることです。


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