【学びの危機(7)】大学と「学問」の困難

津田塾大学准教授 柴田 邦臣
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「無症状の濃厚接触者別室」の主任監督者欄に、自分の名前がある。事前に分かっていたとはいえ、正式に表記されたものを見ると、あらためての緊張感で神経が張り詰める気がする。

対面とオンラインを組み合わせた大学でのハイブリッド授業

保健所に「濃厚接触者」と認定されても、条件を満たせば大学入学共通テストは受験できる。受験生の便益を考えれば妥当な措置だし、そう思って引き受けた役目ではあったが、医療職以外で濃厚接触者に対応する業務がどれくらいあるかを考えると、文科省の通知がどれほど大学を動揺させたか、理解できるだろう。

この連載では、主として障害のある児童生徒たちに起きた「学びの危機」=Learning Crisisについて書き綴ってきた。しかし、Learning Crisisは特別支援学校・学級のみで起きているのではない。特に日本においては大学が最も混迷に陥っており、その危機の深刻さを閑話休題的に振り返ってみる。

COVID―19の拡大によって、大学はまさに七転八倒の年を送った。2020年3月に「弾力的に取り扱って差し支えない」など空前絶後とも言える通知が文科省から示されて以降、各大学は動揺しながらもリモートへのアクセルを踏み続け、5月の連休明けには大方がオンライン中心の「新しい授業」を断行した。

その後、紆余(うよ)曲折しながらも大学の授業は、動画視聴の「オンデマンド型」とネット会議システムの「リアルタイム型」などに落ち着いてきている。一方、キャンパスに登校できない学生に同情する世論が出ると、文科省から「豊かな人間性を涵養する上で、直接の対面による学生同士や学生と教職員の間の人的な交流なども重要」と完全にトーンを変えた通知などが出され、現場は混乱を極めた。教室で授業しつつオンライン配信もする「ハイブリッド授業」は、その革新的イメージとは裏腹に、対面授業と感染対策を両立させるための妥協の産物であった。

「この危機が教育改革をもたらす」という論評が聞かれる。しかし、「学問」の舞台たる大学の周章狼狽を見ると、その「改革」が本当に「学びにとっての必要性」から生まれているのか、自省した方がよい。私たちの学問は、本当にGoogle ClassroomとGoogle Formに収まるものなのか。15分ごとの断続的なYouTubeで論じ尽くせるもので、目の前と画面越しの双方に同じ形で語り掛け得るものなのか。「学び」の本質からではなく、何かに強いられ流された変化こそを「改革の形骸化」と呼ぶのである。


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