【大学入試改革を問う(6)】入試の多様化について考える

東京大学教授 中村高康
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日本の大学入試制度について考える場合、「学力試験の一発勝負」というイメージが先行しがちである。「接続答申」とも呼ばれる2014年12月の中教審答申でも、「18歳頃における一度限りの一斉受験という画一化された条件において、知識の再生を1点刻みで問う問題を用いた試験の点数による客観性の確保を過度に重視」する「従来型の『公平性』の観念」が批判されている。

しかし、私たちはそこまで「従来型の『公平性』の観念」に安住していたわけでは全くない。学校推薦型選抜(旧推薦入試)に類する制度は、実は戦前から存在しており、大学入試制度において公的に認められるようになったのは1967年度からである。その後は堅調に拡大し、現在に至っている。つまり、50年前にはすでに入試の多様化が始まっていたということである。年長世代には比較的新しい選抜制度のように見える総合型選抜(旧AO入試)ですら、その拡大は90年ごろからであり、すでに30年近い歴史がある。

実際、90年代までには大学入試の多様化が非常に進み、ある教育研究者をして「日本の選抜方式の多様性は世界に冠たるもの」と言わしめるほどだった。言うまでもなく、学校推薦型や総合型はいわゆる「従来型の『公平性』」に基づく選抜ではない。だから、これ以上の多様化は不要とする見方も少なくないのである。

そのような状況の中で、さらに多様であることを制度に組み込むとすれば、個々の選抜において選抜資料を多様化する、いわゆる「多面的評価」を行うことになる。多面的評価は、個別の選抜において各大学の判断で検討し得る課題である。ただ、「多面的評価をしたから大いに選抜結果が良くなった」というように、簡単にはいかないものでもあるように思う。例えば、多様な学生を確保するために多面的評価をするという考え方もあるが、選抜資料を多面的にすると、特定の領域で突出した能力や個性を持つ受験生が、逆に合格しにくくなる場合もある。学力試験も調査書もコンクール実績も…といった形で資料を増やしていくと、オールラウンドにいろいろできる人が有利になる面があるからである。

多様であること・多面的であることを、シンプルに「良いはずだ」と思い込むと、異なる結果につながることもある、ということは考えておきたい点である。


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