【なぜ学校改革を進められたのか(10)】麹町中の学校改革とは何だったのか

立命館守山中学校教諭 加藤 智博
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5年間勤めた麹町中学校を離れて、間もなく1年がたとうとしています。離れたところから振り返ることで、よく見えてきたこともたくさんあります。

同校では「固定担任制」「定期テスト」「宿題」の廃止が注目を集めましたが、それら「手段」だけを見るのは本質的ではないと思っています。その先にある「子供が本来持っていたはずの主体性を取り戻せる場」に学校を変えたこと、そして「その取り戻した主体性を原動力に、自己決定をしながら自分の人生を歩める場」に変えたことが、麹町中の実践だったというのが私なりの振り返りです。

これまでの学校を思い返してみると、教員が生徒たちに多くのことを「教えて」きました。学校現場には「学習指導」「生活指導」「清掃指導」「給食指導」など、「〇〇指導」という言葉が山ほど存在し、その数は学校関係者以外の人が聞くと驚かれるほどです。

生徒たちの未来の幸せを願うあまり、学校では教員側が自身の考える「正解」を生徒に「教えて」きました。そして、すてきな大人に成長してほしいと強く願えば願うほど、「教える」量は増えていきました。生徒にとっては、自分で考えなくても「指導」や「指示」という助け舟らしきものがたくさん出てきます。

麹町中では、そうした状況を変え、生徒たちが自分で考え決定できる環境を増やしていきました。最初は「君はどうしたい?」と聞かれてポカンとしていた生徒たちが、少しずつ自分の「こうしたい」という感情に気付き、言葉で伝えられるようになっていく。うまくいかないことがあると人のせいにすることに慣れていた生徒が、誰のせいにもできない環境に身を置くことで、やっと自分にベクトルを向けるようになる。そこで初めて、「こうしたい」という感情が呼び戻ってきます。すぐ大人に頼っていた生徒が、自分で幾つかの選択肢をつくり、根拠を持って選択できるようになるのです。

支援者(教員)として、こうした生徒の成長に立ち会えるようになるまで、時間はかかりました。また、支援者として必要な在り方やスキルを身に付けるのは、簡単ではありませんでした。ただ、職員室の仲間と共にたくさんの時間をかけて学び合うことで、成長できたと思います。

麹町中で「改革」と言われたさまざまな取り組み。それは、「子供たちをどう立派に育て上げようか」という大人のエゴではなく、人間(生徒)が人間としてより幸福感を持って自らの力で生きていく(well―being)のための本質的な部分の取り戻しと育みだったように感じています。

(おわり)


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