【AI時代の探究のヒント(1)】東京コミュニティスクールとの出会い

一般社団法人みつかる+わかる代表理事 市川 力
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私は大学・大学院時代、認知心理学と呼ばれる分野を専攻し、人がどのように記憶を形づくるのかを研究していた。その後、1990年にアメリカ(イリノイ州)にできた日本人の子供たちが通う学習塾の講師となり、やがて自ら塾を立ち上げ(コネチカット州)、教育実践を積み重ねた。

日本に帰国後、農作業の手伝いに来ていた北杜市にて

アメリカに住む日本人の子供たちは、日本人学校ではなく、現地の学校に通うケースが多く、彼らの英語や日本語のフォロー、学校から出されたホームワークのサポートなどを行ってきた。学習塾なので、帰国枠入試を突破するための受験学力を付けるのがメインの業務ではあった。しかし、私は人がどう学び、言葉を身に付け、表現し、知識を形成していくのかに関心が強かったので、現地の学校で出される「プロジェクト」と呼ばれるホームワークや、授業スタイルに心ひかれた。日本の教科別の学びとは異なり教科融合で、例えば家族の歴史を調べることから発展して、国家の成り立ちを学ぶというようなスタイルを、塾に通う子供たちのホームワークを手伝うことで共に学ぶことができた。

しかし、学習塾ではどうしても受験指導が優先されるため、自分の関心がプロジェクトによる学びの在り方に傾けば傾くほど、やりたいこととやるべきこととのギャップが広がっていった。そろそろ潮時かなと思い、教育からは足を洗おうと思って2003年の春に帰国した。あっという間の13年間だった。

ところが運命の糸はいたずらで、たまたま農作業の手伝いに訪れていた山梨県北杜市の田んぼで子供たちと遊んでいた時、その親から「あなたの子供との関わりに感銘を受けた。実は東京杉並区に小学生対象のオルタナティブスクールをつくりたいのだが手伝ってくれないか」と声を掛けられた。こうして私は東京コミュニティスクール(以下TCS)の立ち上げに関わることになった。

新しい学校をつくりたいという理想も願望もなく、他にやることもなかったため、こうした社会実験に関わるチャンスは滅多にないだろうという好奇心から、なんとなく引き受けた。極めて消極的で、非主体的な選択だった。2004年8月のことである。当時、ゆとり教育が学力低下をもたらしたと大学の研究者やマスコミが盛んに騒ぎ立て、鳴り物入りで始まった総合的な学習の時間は、早くも逆風にさらされていた。そんなタイミングでTCSは始まったのである。

【プロフィール】

市川 力(いちかわ・ちから) 一般社団法人みつかる+わかる代表理事、探研移動小学校主宰、慶應義塾大学SFC研究所上席所員。1990年に渡米後、13年間にわたり日本人駐在員の子供が通う学習塾を運営。2004年8月から、東京コミュニティスクール(中野区)の校長&おっちゃんとして、小学生を対象に、先行き不透明な時代をたくましく、しなやかに生きる探究力を育むために、プロジェクトを通して学ぶ教育を実践・研究。17年に退職後、街場のおっちゃんジェネレーターとして大人と子供が共に学び成長する場づくりを行う。一般社団法人みつかる+わかるでは、主に歩く探究学とジェネレーターの実践・普及の中心的役割を果たす。著書に『英語を子どもに教えるな』(中公新書ラクレ)、『探究する力』(知の探究社)など。

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