【AI時代の探究のヒント(6)】「なんとなく」気になることをシェア

一般社団法人みつかる+わかる代表理事 市川 力
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子供は幼い頃から、大人に「褒められたい」「認められたい」という気持ちが強い。大人の顔色・思惑を察して行動し、発言しようとする。年齢が上がれば、同級生の目も気になってくる。自分だけ浮いてしまうような意見を言って目立ちたくないという心理が働き始める。これはプロジェクトの遂行を妨げるマインドセットである。無邪気に自分の思い付きを言えなくなっていく小学高学年から中・高生と共に、探究を始めるにはどうしたらよいだろうか。

体育館の亀裂が「現代アートのよう」と撮影する子供たち

その場合もやはり、私たちは「Feel℃ Walk」から始める。学校の周辺でも、自分の家の周りでも、毎日通学する道すがらでもよい。歩いて、何となく気になるモノ・コトをスマホやデジカメで撮る。そして、何枚か撮影した中から特に気になったモノ・コトの写真を一枚選び、それをみんなでシェアし合う。そのときに語られることは、どんなささいなことでも模造紙に記録する。それが教師の仕事だ。

この課題が出されると、特に中・高生は、何のためにするのかが分からずに戸惑う。しかし、難しい課題ではないので取りあえず取り組む。けげんな様子で写真のシェアが始まるが、それぞれの「なんとなく」の発見が人によって違うことが、次第に面白く感じられてくる。道端のクローバーの滴が気になったという子がいれば、体育館の壁の亀裂が現代アートみたいに見えたという子もいる。みつけたモノだけではなく、歩きながら頭に思い浮かんだことを語り始める子もいる。こうして、お互いの「なんとなく」の発見に触発され、「実は私もそれが気になった」などと他人の発見を面白がることで、次第にお互いが素の発見を平気で口に出し、愛であう場になってくる。

いつも通っている、身の回りのありふれたところに、見過ごしていたモノ・コトがある。そこからスタートして、みんなでワイワイ面白がって語り合うだけだ。「なんとなく」からスタートして発見したちょっとしたことを語り合ううちに、何かを調べたわけでも、教わったわけでもないのに、追い掛けてみたい課題や仮説の種がみつかる。

課題がみつからないのは、見逃しているだけ。意味があるか、関係があるかにとらわれず、「なんとなく」集まった「雑」に目を向けてみることから探究は始まる。そうしてフタがされつつあった好奇心が、再び開き始める。


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