【教室と世界をつなぐ「探求」(3)】「探求」と「探究」学校教育に必要なもの

株式会社教育と探求社 代表取締役社長 宮地 勘司
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2022年度から年次進行で実施される高等学校の学習指導要領には、「日本史探究」「理数探究」「総合的な探究の時間」など、「探究」と名のつく複数の教科・科目が導入される。「探究」とは、物事の本質を探し究めること。英語で言えばinquiry。問い合わせることや調べ上げることなど、調査・研究という意味を持つ言葉だ。

授業の様子

一方、私たち教育と探求社が提供するプログラムは「クエストエデュケーション(以下、クエスト)」。そのまま訳せば「探求」という名の教育プログラムとなる。「探求」とは探し求めること。何かを手に入れようと探し続ける行為のことを指す。

今回は、これら「探究」と「探求」の違いについて考えてみたい。

「探究」は学究的な行為である。ある決められたものを丹念に調べ、深掘りし、整理分析し、そこから得られた知見をまとめてアウトプットする。そして、そこから新たな疑問が生まれれば、それをさらに検証していく。そんなイメージだ。物事には本質があって、表面的に考えるのではなく、さらにその奥をうがつ視点や考え方が重要。対象を定めた思索的活動と言える。実際に、クエストの個々のコースには「企業探究コース」「社会課題探究コース」など、「探究」という言葉を使っている。「会社」とは何か、「社会課題」の本質はどこにあってどうすればそれを解決できるのかなど、それぞれの題材を探り究めていくという意味において「探究学習」なのである。

それではプログラムの全体に、私たちはなぜ「クエスト(探求)」と名付けているのか。それは、このプログラムを通じて、生徒が自分の人生において本当に大切なものを全力で見つけてほしいという願いがあるからだ。「探求」とは冒険的である。旅の始まりには、自分にとって何が本当に必要なのか、不確かな感覚しかないかもしれない。それでも勇気を持って船をこぎだす。そこで出合うさまざまな体験が、自らを育てていく。頭だけでなく、心も体も存分に使う。そんな人間の全体性を伴う学びの体験をしてほしいと思っている。

分断されてゆく社会の中で、人は今こそ全体性を取り戻すべきだ。自らの中には正も邪もあると知ることが大事。人間は白か黒かでは割り切れない存在なのである。私たちが必死になって磨いてきた思考の力は、間もなくAIに抜き去られる。意思を持つこと、思いやりを持つこと、勇気を持つこと、その上で考えること、クエストを通じてそんな学びを展開していきたいと思う。

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