【AI時代の探究のヒント(10)】自ら探究人として歩むための5G

一般社団法人みつかる+わかる代表理事 市川 力
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本連載ではこれまで「歩いて、たくらむ」というテーマで書いてきたが、「歩く」というのは実際に外を歩くことだけを意味しない。あれこれ考え、生きてゆく道筋を歩むことも含まれる。何かを探索しつつ、あちこち寄り道しながら生きてゆくことが「歩き、たくらむ」ということなのだ。

「遇・偶・隅・愚・寓」の「5つの禺」

よく、一期一会を大切にと言われる。この言葉が私たちに伝えることは、出会いに無駄なもの、無意味なものはないということだ。にもかかわらず、人は「役立ちそうなもの」「使えそうなもの」「価値がありそうなもの」という色眼鏡で取捨選択をしてしまう。その結果、何となく気になるちょっとしたことは、無駄な「雑」として捨てられる。実はみつかっているのに見なかったり、聞こえているのに聞かなかったりしてしまう。せっかく遭「遇」しているのに見逃してしまうのだ。まずは遭「遇」した「雑」を集めることが、何より重要である。

遭「遇」した多数の「雑」の中から、「ひょっとすると」と気持ちが動くものが現れる。直観的に気になった出「遇」いが、ある気付きとたまたま結び付く。「もしかしたらこうかも」という思い付きが「偶」発するのだ。すると「偶」然気付いたことに関連する何かを追い求めるようになる。全てを網羅して観察したり、調査したり、集めたりするのではなく、一「隅」を照らす感覚や認識が働く。限られた「隅」っこを見つめているだけでは、取りこぼすことも多いのではと思うかもしれないが、ひたすら一「隅」を探し続けると、ふと大きな意味やストーリーが見えてくる瞬間が訪れる。「偶」発的に気になった一「隅」を「愚」直に追究し続けることで、面白い「寓」話にたどり着くのである。「雑」を集め続けても意味がないなどと考えず、面白がって続ける「愚」直さから、事実・現象の背後にある「寓」話としての「面白仮説」が生まれる。

「遇・偶・隅・愚・寓」の「5つの禺」を、私は「探究人として歩むための5G」と呼ぶ。新しい通信システムより先に、私たちは自身に内蔵されながら、働きが鈍っている「5G」を再起動する必要があるのだ。「雑」を集め、「雑」が合わさって現れる「仮説」をひたすら追い掛ける、「5G」の道を歩む探究人として共に進んでゆこうではないか。

(おわり)


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