【HSCと向き合う(4)】学校内の居場所(上)

一般社団法人信州親子塾 齋藤光代
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教員を退職後、縁あって3カ月間、小学校へ。保健室をはじめ、職員室や廊下、体育器具庫などさまざまな場所に、教室にいられない何人もの子供の姿があった。安心できる場所、分かってくれそうな大人を求め、さまよっているようにも見える。今振り返ると、その子たちは皆HSCだ。

空き時間に職員室にいると、机の下に隠れるように集まってくる。「今日はここにいる」「友達とけんかをして、先生は僕のせいにした」。そうかそうかと、ちょっと話を聞いてもらったり遊んだりすると気が済むらしく、「やっぱ帰るわ」と教室に戻っていく。とても律儀だ。というか、「本当は教室にいたい」という思いがひしひしと伝わってくる。どの子も、担任に認められたい。どれだけの先生が、そのことを理解しているのだろう。

「こうすべき」という指示は、暴力にもなり得る。素直で純粋な低学年の子が自分の身長の倍近い人、つまり3メートルの巨人に指示されているところを想像してみてほしい。もはや屈するか逃げるしかない。教師は、自身が子供にとって大きくて強力な力を持つ存在なのだと自覚したい。教師の価値観を押し付ける前に、ちょっとでも子供の声に耳を傾け、「そうなんだね」と受け止める。そうした余裕があれば、子供の声の聞こえ方が全然違ってくると思う。

その学校ではしばらくして、子供が逃げ込んだ先には全て、体育器具庫も倉庫も鍵が取り付けられた。どんどん逃げ場を失っていく。こうした対処療法では、解決しないどころか子供を追い詰める。

口に合わないラーメン屋に望んで行く人はいない。味を検証せずに教えられたように作って与え、人が離れていくとトッピングばかりをあれこれ増やし、自分のラーメンを食べさせようとする。そのラーメン屋しか選択肢がなければ、我慢するしかない。「これがうまいのだ」といった圧によって、まずいという感性を抑え込んでしまうこともある。

「どうしても行けというなら、この包丁で僕を刺してくれ」。小学1年生が父親に言った言葉だ。

「まずいラーメン屋」という存在はない。感性の高いHSCが、「このラーメンは、僕の口に合わない」と頑張って伝えているだけだ。それが誰にも伝わらないと「みんなが食べているラーメンを食べられない僕はおかしい人間」「ラーメン屋に行けない僕は駄目な存在」「みんなとラーメンを食べられない僕には価値がない」と思うようになり、自己肯定感はどんどん下がる。ある子は後に、「自分は生きるのに向いていないと思っていた」と語った。打つ手はあるのだ。


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