【新時代の部活動指導(1)】えらいところに来てしまった

京都橘高校吹奏楽部前顧問・吹奏楽指導者 田中宏幸
この連載の一覧

私が京都橘(女子)高等学校に赴任したのは、1995年4月。関西地方は、阪神・淡路大震災の復興もままならない時期だった。

後に「オレンジの悪魔」と呼ばれる部員たちを指導する記念すべき第一歩は、正式に着任する数日前。春休みの練習の付き添いを仰せつかった時のことだった。当時はまだ下校時間もあってないような、緩い学校管理体制だった。

本来の下校時刻を過ぎた午後7時半頃だったと思う。私がいる準備室の隣室の美術室から、何やら大きな声が聞こえてくる。そのうちそれがドタバタと部屋を出入りする音に変わった。

しばらくすると、先生が何人か美術室へやって来た。着任前なので、私とは面識のない人たちだ。

「どうしたんや?」と3年生の部長と副部長に尋ねると、「2年生の○○さんが、腰を痛めて倒れました」と、ことの結果のみが伝えられた。

よくよく聞けば、3年生が2年生全員を直立不動で立たせ、罵声を浴びせていたとのこと。世に言う恫喝である。

なぜ、そんなことになったのかというと、3月に研修(修学)旅行に行った2年生のスナップ写真が学校の広報誌に掲載されていて、その中の1枚に、スカートのウエストを少々折り込んだ吹奏楽部員の姿が写っていたのだ。普通に考えれば単に微笑ましい写真なのだが、スカートを折り込む行為は、部則では決してあってはならないことらしい。当時の激しい上下関係の下、3年生がそれを見過ごすはずはなく、恫喝行為に及んだのだった。

私はどうすることもできずに、ただ呆然と事の顛末を眺めるのみであった。もちろん、心の中は「えらいところへ来てしまった」という思いで一杯だったが…。

その日留守にされていた顧問の先生は、先日まで副校長をされていたこのクラブの創設者。教職を引退し、指導を私に引き継がせた後、全日本吹奏楽連盟の理事長になられたお方だ。2021年3月にご逝去されたが、皆に慕われる素晴らしい方。私も尊敬してやまないが、先生の凄さを一言で表現すると「物凄い鈍感力を武器に、何事にも自然体で臨む」ということだと思う。

生徒がドロドロと大もめをしていてもそれを気にとめることなく、「君たちはみんな僕の娘だァー!」と満面の笑顔で言う。私も生徒たちも、吉本新喜劇のように、全員でズッコケざるを得なかった。この素晴らしき鈍感力は、要らないことにすぐ気付き、くよくよと悩む私には到底理解不可能だった。

この連載の一覧

【プロフィール】

田中宏幸(たなか・ひろゆき) 1958年生まれ。大阪音楽大学卒業後、音楽教師になり、公立中学校に12年間勤務の後、1995年に京都橘高等学校に赴任。以降23年間、顧問として吹奏楽部を指導し、全日本マーチングコンテスト常連校へと成長させる。近年では07年より3年連続全国大会出場(08年、09年は金賞)、11年全国大会出場、12年NHK吹奏楽バトル優勝、14年、15年にも連続で全国大会出場。15年には金賞受賞。また、日本で唯一アメリカ合衆国のローズパレード(集客規模100万人)2回出場などの実績を残す。その驚異的な強さとユニフォームの色から、同校の吹奏楽部は「オレンジの悪魔」と呼ばれ、テレビ番組や新聞などでもたびたび紹介された。2021年4月より大商学園高等学校吹奏楽部音楽監督。

関連記事