【新時代の部活動指導(2)】まずは踏襲

京都橘高校吹奏楽部前顧問・吹奏楽指導者 田中宏幸
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部員が下級生部員を集団でどう喝するというショッキングなスタートを切った橘での指導者人生だが、当時の私はペーペーの新卒採用教員ではない。校種こそ違え、10数年のキャリアを持つ中堅指導者である。自分なりの指導方針を心に蓄えて、仕事に臨んでいた。

まず、橘は伝統と実績のある高名なバンドだ。いきなり「これが自分のやり方だ!」ということを突き付けて、生徒や保護者とぶつかり合い、大量の退部者を出してでも我のスタイルを貫くというような危険な行為は、注目度の高い(当時は全国的でも世界的でもなく、関西エリアだけだったが)女子バンドにはなじまないと考えた。不条理なこと、理不尽な決まりなどはたくさんありそうだが、薄皮を剥がすように5年、10年かかって自分が完全にコントロールできるようにすればよいと考えることにした。

転勤がある公立の先生の部活動指導の流儀は、「前任者の否定」だ。まあ、「十カ年計画」というようなのんびりしたことを言う時間はないから仕方がない。私はここで、それとは正反対の方針を採った。私学なんだから、これから定年まで20数年、このバンドを指導できるのだ。じっくり考えながらやって行こう。「踏襲あるのみ」だ。初日から大事件に遭遇し、かなりの困難は予想された。しかし、焦りは禁物。「そのうちなんとかなるだろう」と、心配性な自分を意識的に封じ込めたのがこの時期だった。

創設者の先代顧問は、まだほぼ毎日、部活動の時間には来ていた。府連盟の理事長、全日本と関西の副理事長という役職柄、出張も多かったが、可能な限り学校には来ていた。私は毎日帰路を共にするなど、その先生に密着していた。指導方針を踏襲するために。生徒のやっていることで、奇異に感じることについては、正直に質問をぶつけた。そして「それはね、こういうことがあって今があるんだよ」という回答に納得することも多かった。30年の伝統は、そう簡単に否定できるものではないなと思った。

先代からさまざまなことを吸収し、踏襲したことの中で、私の指導においても根幹になったことがある。それは、「上位の大会へ進出し、どんな素晴らしい賞状を得るかということは決して目標にはしない。それよりも、他校では絶対経験できないようなことを一つでも多く経験させてあげることを考えるのが顧問の務めだ」ということ。これは私が指導した部員やその保護者なら、誰もが記憶しているせりふだ。

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