【HSCと向き合う(10)】教師である前に一人の人として

一般社団法人信州親子塾 齋藤光代
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学校において評価の高い先生は、自分の理想とする子供の姿に近づけることが上手だったり、学校という価値観の中で優秀な人材を育てることに長けていたりする。学力テストの結果を上げることを目標にすれば、いかにうまく教えるか、いかに問題を解く力量を身に付けさせるか。思いやりのあるクラスを目標にすれば、人に何をしてあげられるか、誰も一人にしないために何をするかなどが、その基準となる。

これらは「外の基準」である。一般的には何の問題もないが、HSCは「外の基準」よりも自分の感覚に敏感なため、画一的、表面的なものを見抜く目を持っていて、そこに違和感を持つ。

以前、学級経営は緩い感じで、一見まとまりはないものの、HSCが生きられる学級があった。教師からは自信など全く感じられず、周りの評価もイマイチだが、子供を中心に据え、子供を大事にしている。一人一人が認められ、自分に正直な子供たち。

「教師の力」ではなく、自分の手柄を手放し、子供の思いを受け取っては子供に返す。目に見える価値観にとらわれない、この先生の在り方こそ子供の力を引き出している。

HSCは人一倍敏感ではあるが、決して「弱い」わけでも「わがまま」なわけでもない。教師が「扱いにくい」と感じるならば、自身の感性を高める努力をすることで、全ての子が生きる力を自ら高めていく学級になる。

今、親子塾に集まる子供・若者は皆HSCであり、大人によるコントロールと感じる強制力に苦しんできた。自分の気持ちを直接伝えることができるまでに信頼関係を構築するには、言葉の端々に感じられる本人の思いをキャッチし、表情やおし黙る空気感や会話の前後関係から本人の思いを受け取り、それを言葉にして質問するという接し方の精度を高めていく必要がある。その際に、誘導的な思いや上から目線、下に入る感じが、少しでもあってはならない。

私は引きこもりの中学生に「親子塾に来てみる?」と問い掛ける際、「これは私の思いなのか、本人の思いをキャッチしての提案なのか」と自問自答し、何度も検証してきた。相手は大人の観念的誘導で傷ついている分、それほどまでにコントロールを外すことが必要となる。子供とのやりとりの中で教師自身が自分のエゴを捨てられるようになると、相手の思いをキャッチする感度が高まってくる。

「そんなの自分には無理」と思うなら、せめて子供をコントロールすることを諦めてほしい。学校が合わないと感じる子がいたならば、本人が環境を選択できるよう適切な対応を願う。

子供を前にしたときに、どんな教師でありたいか。それぞれの中に答えはあり、子供は何年か後に答え合わせをしてくれる。

(おわり)


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