【新時代の部活動指導(6)】脱走事件

京都橘高校吹奏楽部前顧問・吹奏楽指導者 田中宏幸
この連載の一覧

何やら物騒なタイトルだが、実際に起こったことである。

京都橘では、各学年を「○○期生」と呼ぶ。1995年度は「どう喝の」(第1回参照)3年生が92期生、「どう喝された」2年生が93期生、この年に入学した新入生が94期生であった。

7月のある日のこと、吹奏楽部では「コンクール校内合宿」が行われていた。2泊3日で学校に泊まり込んで、吹奏楽コンクールに向けての強化練習を行うのだ。この10年後からは毎週中学生を招待して名物のジョイントコンサートが行われた校内のホール(橘フェスティバルホールという名前の1000人収容の多目的ホール)も、この時代は各部活動の練習予定がほとんど入っておらず、使い放題であった。その上、当時の緩やかな管理体制もあって、吹奏楽部は全く時間を無視して夜中まで合奏を行っていた。

拙著では、「お客様扱いで大事にされていた1年生に、厳しい指導が入るのは中間テストが終わって『3000人』の練習が始まる頃」と記しているが、この時代はそんな甘いものではなく、3~4月に入部したその瞬間から、新入生は想像を絶するような厳しさを経験していた。「3000人の吹奏楽」※にはいまだ出場要請がなく(96年に初出場)、上級生も「暇」な時代だった。伝統の規律を保持するため、特に3年生は1年生に対し、それぞれが「厳しさ合戦」をしているように、新参者の私には映った。

吹奏楽部には「仕事」と呼ばれる雑用があり、その方法や手順を間違えば叱責(しっせき)され、上級生がズラリと並ぶ前に一人ずつ呼ばれて吊し上げられる「呼び出し」という行為が日常的に行われていた。楽器の練習や、マーチング基礎練習の厳しさも推して知るべし。上級生は「私たちも厳しくしつけられたので、今がある」という勝手な考えに凝り固まっていたので、手のつけようがなかった。連載の前回の最後で「ある程度の上下関係は必要かも」と締めくくったが、「そんなこと言ってられない。今すぐ改善しないと」と翻意することになる事件が合宿中に起こったのだ。

コンクール合宿では、寝室に使う教室は学年別に分かれていたが、「呼び出し」は夜中にも及び、1年生全員が部屋にそろうのは明け方だった。当然のことながら、その明け方の時間帯、1年生の部屋は泣き声で充満することになった。極限まで精神的に追い込まれていた94期生は顔を見合わせ、誰が主導するでもなく教室を出て、夜明けの学校の中を校門に向かって駆け出して行ったのだった。

※毎年初夏に関西で行われる3000人規模のマーチングイベント。

関連記事