【激甚化する自然災害に備える(2)】学校防災を巡るこれまでの経緯

滋賀大学教授 藤岡達也

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 地震の発生が、学校防災とその後の学校再開の在り方に大きな教訓と影響を与えたのが、1995年に発生した阪神・淡路大震災である。翌1996年に中央教育審議会が「21世紀を展望した我が国の教育の在り方について」の第1次答申を示し、その中で「生きる力」の育成を初めて登場させた。この震災では地震発生直後から学校が避難所となり、学校教員の対応が高く評価される一方で、その負担は非常に大きいものであった。しかし、学校は地域にとって災害時のよりどころであることが、その後の災害でも地域に認識されることになった。

 震災の影響は社会にも及び、震度5と6に「強」「弱」が設定され、震度階が7段階から10段階に変更された。また、沖積平野での活断層が注目され、2004年の新潟県中越地震では中山間部での活断層の動きに伴う斜面災害も認識されるようになった。

 阪神・淡路大震災の発生は平日の早朝、新潟県中越地震は土曜日であり、両日とも子供たちが学校にはいない時間帯であった。天井の崩落、図書室での本棚の転倒、石碑やブロック塀などの倒壊があったことからも、学校に子供が登校していなかったことが幸いに思えた。ただ一般的に、子供は学校にいる時間よりも学校外にいる時間の方が圧倒的に長い。そのため、学校外で教員の誘導などがないときの地震に対応できる力の育成も不可欠となる。夜間に発生した熊本地震時も同様であった。また、これらの地震では、被災後における地域での子供たちの取り組みが、大人たちを励ましたとの報告も多く見られた。

 一方、東日本大震災では、学校を巡るさまざまな悲劇と教訓が生じた。地震発生が午後2時46分であり、多くの学校では子供たちが学校にいたため、教員の適切な避難誘導などで子供の命が救われた。しかし、宮城県石巻市立大川小学校では、学校に約50分間もとどまっていたため、教員10人を含め一つの学校で84人もの尊い命が犠牲となった。小中学生などの適切な避難行動として「釜石の奇跡」がよく挙げられるが、既に卒業式を終え、自宅にいた高校生の犠牲者数が小中学生に比べて多かったという現実がある。

 全体的には、防災管理はそれなりの成果があったと言えるが、教員や大人がいないときに、子供たちが自分の判断で行動できるようにする防災教育が、その後の課題となった。防災訓練や避難訓練を学校内で実施するだけでなく、学校外でも適切に対応ができる思考力・判断力の育成が求められる。防災教育に限らず、今後の教育の目指すところでもある。


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