【教室の中のLGBTQ(2)】ライフストーリーから振り返るLGBTQ+

公立小学校非常勤講師・プライドハウス東京レガシースタッフ 鈴木茂義
この連載の一覧

 自分が同性に引かれるなと人生で初めて気付いたのは、小学校1年生のときでした。近所のお兄ちゃんたちに、憧れの気持ちを抱いていました。周りの友達は好きな女の子の話で盛り上がっているのに、男の子を好きになる自分は変だなと思っていました。と同時に「このことを話したら、絶対にいじめられる」と思っていたので、友達にも親にも先生にも言わないと決めていました。ただ、今振り返ると、性的指向(恋愛や性愛の対象が誰に向くか誰にも向かないか)が揺れていた時代でもあったので、実際には好きな男の子も女の子もいました。

子どもたちに向けてオンラインで講演する筆者

 中学・高校でも好きな男の子も女の子もいましたが、成長するにつれてその気持ちはより強く同性に向くようになりました。高校生のときには、友人から「シゲちゃんのタイプの女の子は?」「アイドルで言うと誰が好きなの?」という「人は異性を必ず好きになる」という悪意のない質問に困っていました。常に自分の中に「こんなことを聞かれたらこう答える」という想定問答集が用意されていて、「好きなタイプは広末涼子さん」と答えていました。大学生になっても、小学校の先生になっても、常にコミュニケーションのどこかにうそとごまかしが入るのです。

 自分がゲイで世の中のマイノリティーであるだけでも十分に困るのに、社会の制度設計も異性愛が前提です。ロールモデルも見当たらないので、生き方の見通しも持ちにくいものがあります。さらにコミュニケーションの困難さが、時として自分を追い込んでいました。とても怖かったのですが、その辺りを打開するためにオープンにした経緯もあります。

 私はたまたま自らのマイノリティー性をカミングアウトするという選択をしましたが、それが正解という訳ではありません。大切なのは、カミングアウトしてもしなくても、その決断と行動が尊重されることだと思います。私はたまたまカミングアウトをしたことで、自分に対する信頼を少し取り戻しました。そして、偽りのない他者とのコミュニケーションが増えました。その一方で、今度は新たな社会課題にぶつかり、それと対峙する日々です。カミングアウトをしたらバラ色の人生がやって来ると思っていましたが、限界がありました。学校にも通じることですが、法律の制定、制度やルールの設定、理解啓発が必要です。マイノリティーの課題を、マイノリティーだけの課題にしないユニバーサルなデザインが求められます。

カミングアウトした教員のリアルとLGBTに向きあうヒント

この連載の一覧

関連記事