【その指導は、しない(2)】授業開始と終了のあいさつ

めがね旦那 公立小学校教諭

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 今回のテーマは「授業開始と終了のあいさつ」についてです。僕は自分の授業を始めるときに「あいさつ」をしていません。チャイムが鳴って、子どもたちがゾロゾロと運動場から帰って来て、ある程度戻ってきたのを確認したら、そのまま授業を開始します。

 それを見た別の先生から「めがね先生のクラスの子どもたちは、授業への気持ちの切り替えができるのですか?」と聞かれることがありますが、僕の答えは「もちろんできています。子どもたちはしっかりと教室へ帰って来ているではありませんか」です。

 そもそも現場でよく聞かれる「気持ちの切り替え」とは一体、子どもたちのどんな様子を指しているのかが僕にはイマイチ分かりません。人間は機械ではないので、スイッチのオン・オフのように気持ちを切り替えることができません。みっちりと訓練された結果、そのように気持ちを切り替えることができる学級集団もあるのかもしれませんが、想像するだけでなんだか気持ち悪いと感じてしまいます。

 さらに言えば、そもそも授業開始時に、子どもたちの気持ちを切り替える必要があるのでしょうか。僕は子どもたちの「学び」と「遊び」は不可分だと考えています。例えば、理科の実験なんて遊びの要素が多分に含まれています。体験的な学びを進めていきたいのならば、なおさら遊びの要素は必要でしょう。楽しくない学習活動で「能動的に学べ」なんてあまりに理不尽です。

 これらの考えの前提には「子どもは黙って授業を聞いておけ」という教師側の思いが見え隠れしています。しかし、このような授業スタイルは前時代的です。もちろん、一斉指導である講義スタイルの授業の全てを否定しているわけではありません。僕だって「全員に伝えたいことがある場合」は講義形式の授業をします。しかし、その配分は少しずつ減らしていくべきではないでしょうか。僕は、「子どもたちの時間を頂いて話をしている」という感覚を持ってからは、授業時間中に自分が話す時間がぐっと減りました。

 あいさつをさせている先生の中には「今のはそろっていない、やり直し」なんて指導をしたことがある方もいるかもしれませんが、あいさつをそろえることと、その時間の学習効果にどんな関係があるというのでしょうか。僕にはこれが「犬のしつけ」に思えて仕方がありません。先生から見える景色と、子どもたちから見える景色は全然違います。先生が見たい景色のために何度もあいさつをさせられる子どもたちがふびんでなりません。

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