【その指導は、しない(3)】「叱る」と「怒鳴る」

めがね旦那 公立小学校教諭

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 今回のテーマは「叱ると怒鳴る」についてです。僕はもうずいぶん職場で「怒鳴って」いませんが、まだまだ僕の職場でも「怒鳴る先生」は存在します。先日、1年生の前の廊下を通った時にも、担任の先生の大きな「叱り声」が廊下に響き渡っていました。

 学校という場は「怒鳴ることに寛容」だと感じます。「体罰をしてはいけない」ということは、もう多くの学校で認知されていることと思いますが(それでも体罰案件はなくなりませんが…)、「怒鳴ってはいけない」という声は現場からはなかなか上がりません。

 もちろん先生たちには、子どもたちに対する「懲戒」が認められています。だから怒鳴る先生たちは、それを「懲戒」の一つだと認識しているのだと思います。しかし、一歩引いてよくよく考えてみると、成人である大人が、か弱い子どもに「怒鳴りつける」という行為は、とても異常な事態ではないでしょうか。

 僕は「怒鳴る」も十分に暴力性を帯びた「体罰」ではないかと感じます。僕自身、自分の人生を振り返って、成人に怒鳴られた経験は何度もありますが、どれも心にとても大きな傷となって記憶されています。

 先ほどの1年生の事例で、僕はあえて「叱り声」と書きました。「叱る」と「怒鳴る」の境界線は非常に曖昧です。先生本人には「叱る」と「怒鳴る」の区別がついているのかもしれませんが、子どもの側から言わせれば「叱る」も「怒鳴る」もとてもショッキングな体験であることに違いはありません。

 僕が過去に支援してきた子が不登校になったきっかけの中にも「担任の先生が別の子どもに怒っている姿が怖かった」というものが幾つもありました。叱るや怒鳴るという行為には、それほど強烈なエネルギーを帯びてしまうことがあるということも、肝に銘じておかないといけません。

 それでも、我々教員には、子どもたちに生活指導などをしないといけない場面というのが存在します。「叱れない」し「怒鳴れない」なら放置する、というわけにもいきません。そこで、僕は「諭す」という言葉を、いつも自分に言い聞かせて、子どもたちの指導に当たっています。

 「叱る」には「怒鳴る」が含まれてしまいがちですが、「諭す」には「怒鳴る」の入る余地がありません。子どもに対して、「あなたのしてしまったことの、何がいけなくて、それをするとどうなるのか」を「諭す」ことは「教諭」である我々の仕事ではないでしょうか。

 先生が怒鳴ってしまうことで、子どもとの関係が崩壊してしまうことは容易にあり得ます。本当に伝えたいことは、怒りの感情に乗せて伝えるよりも、落ち着いたトーンで伝える方が子どもたちには伝わると思いませんか。

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