【その指導は、しない(6)】学習を嫌いにさせないことが大切

めがね旦那 公立小学校教諭

この連載の一覧

 今回のテーマは「学習を嫌いにさせないことが大切」です。学校での勉強は「できるようになる」ことに重きが置かれがちな結果、「できるようにはなったけど、嫌いになった」という残念な現象がよく起きてしまいます。そして、このことは子どものその後の人生に大きな影を落としてしまうのです。

 人は「好きでも嫌いでもない」ことならば、何かのきっかけで「好き」になることは容易です。それは、優秀な指導者に出会えたり、友人の誘いだったり、日常の中でもそのチャンスは数多く落ちていることでしょう。しかし「嫌い」だと認識していることに対しては、なかなか歩み寄れないものです。

 僕は「嫌いなこと」がたくさんある子どもでした。「字を書く」「絵を描く」「歌を歌う」「踊りを踊る」…。挙げればきりがないほどたくさんありました。それらが嫌いになった要因は「取りあえず、嫌でもやってみなさい」と言われ、できたものを僕自身が他人と比較してしまい「自分は駄目だ」と感じたことからでした。指導者が悪かったかと言えば、全ての要因をそこに持っていくのは酷だと感じます。指導者だって、善意の気持ちで「取りあえず」と僕に声を掛けたはずです。

 学校文化には「平等」という意識が根強くあります。だから「全員に同じことをやらさなければならない」という思いを多くの先生が抱いています。しかし、この「平等」という思いによって、子ども自身の思いとは無関係に、苦手なことを半ば強制的に「やらされて」しまう子どもはたくさんいます。

 「苦手なことでも、逃げずに向き合って、できるようにならなければならないのだ」という大人からの正論は、弱い立場の子どもを追い詰めてしまいます。「あの子だけやらないのはズルい」という周りの子どもからの声もあるのかもしれません。

 こうした考えの根底には「同年齢集団の子どもは、同程度のことができるはずだ」という迷信のようなものがあります。それが間違っていることは、多くの先生の知るところのはずです。「発達障害」という言葉が広く認知されるとともに「定型発達」という言葉も認知されてきていますが、僕から言わせれば「定型」な「発達」なんてあり得ません。子どもたちは、みんな「それぞれ」の「発達」の中で生活や学習の課題に向き合っているのです。

 僕は「今、できなくてもいい」という思いを常に持ちながら指導に当たっています。「いつか、できるようになるよ」というどっしりした余裕が、子どもたちを安心させるのではないでしょうか。

この連載の一覧

あなたへのお薦め

 
特集