【ジェンダー教育と教師(8)】「先生の役割」と〈先生の人生〉の関係

宮崎公立大学准教授 寺町晋哉

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 現代社会には、数多くの教育課題が存在しています。おそらく先生に対する期待が大きいのでしょうが、あらゆる課題で「先生(学校教育)に頼ること」が強調されています。そんな時、私は「先生も一人の人間であり、その人の人生があることを忘れているのではないか」と思うことがあります。

 これはジェンダーも同様です。ジェンダー・センシティブな視点は、先生自身のジェンダー観を批判的に検討することを求めるのですが、〈先生の人生〉を考慮すると一筋縄ではいかない難しさがあります。

 私たちは幼い頃から、大量のジェンダー・メッセージを浴びながら成長してきました。私たちの価値観や認識も当然、ジェンダーの影響を受けています。ジェンダーから自由に育つことはほぼ不可能と言ってよいでしょう。ジェンダーも含めた先生の価値観は多種多様です。簡単に言えば、「男性は男性らしくあるべき」と考えて生活している先生もいるわけです。

 ジェンダー・センシティブな視点に立つと、「男性は男性らしくあるべき」というジェンダー観は子どもたちの可能性を制限しかねないため、批判(検討)の対象となります。強い言い方をすれば、一定の「基準」を強制的に先生へ要請します。こうしたジェンダー観は先生の価値観や人生経験と結び付きながら形成されているため、批判の対象となった場合、先生自身の価値観や人生も巻き込むことになり、時に先生へ心的負担をかけることになります。

 拙著の4章には、「男性中心的な結婚観を持っている」と同僚教師に批判されることで、自身の持つジェンダー・ステレオタイプに戸惑う男性教師が登場します。この先生は自身のステレオタイプに対し、強迫観念を伴いながら「教育する者」として「ジェンダーに縛られない」ように自分へ言い聞かせて対応しようとし、自分を追い込んでしまいます。

 幸い、彼は自身のステレオタイプと向き合うことに成功しますが、自身のジェンダー観を批判的に検討したことで、誰しもがポジティブな変化を経験するわけではありません。場合によっては自分の人生を批判され、心的負担や抑圧的な経験を押し付けられるだけになることもあります。

 ジェンダーによって子どもたちの可能性が制限されないためにも、先生の「役割」は重要です。しかしながら、先生の〈人生〉を顧みずに「役割」だけを強調し、過度な負担をかけてしまうと、重要な存在である先生が疲弊しかねません。

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