【「部活動問題」の論点整理(6)】部活動というインフラ

青柳健隆 関東学院大学経済学部 准教授

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 私は、部活動は長い時間をかけて整備されたインフラのようなものだと感じています。インフラ(infrastructure)とは社会基盤、または社会資本と訳されますが、要は社会や日々の生活を支える土台のことで、水道、ガス、電気、道路や鉄道、郵便、流通網、インターネットなどがそれに当たります。

 インフラがなくても生活が不可能なわけではありませんが、例えば水を飲むために蛇口をひねるのではなく庭に井戸を掘るところから始めたり、野菜を買うためにスーパーに行くのではなく自給自足的に野菜を育てることから始めたりしなければならず、多大な時間や労力がかかります。部活動についても、新しいスポーツを始めようと思い、誰からも教えられず、用具も場所もなく、仲間もおらず、そんな状態から全国大会をつくり上げて優勝を目指すという途方もない労力を想像してみてください。

 部活動には放課後に行われるというフォーマットがあり、場所があり、指導者(顧問)がいて、仲間も集まり、少ないかもしれませんが予算もあります。全国大会まで続くネットワークがあり、運営や指導(知識・技能)のノウハウが蓄積されています。行政のサポートや補助金、指導者講習の制度もあります。何よりも「部活動」という言葉でどのような活動なのかがおおよそ理解し合えるなど、認知・共通認識が形成された文化だと言えます。そのことによって、活動への理解や協力も得やすくなっています。

 前回、子どもにとっての部活動の恩恵や意義について述べましたが、部活動の意義はそれにとどまりません。教員が補完的な教育をする機会となり、生徒指導や生徒理解につながること、学校としての一体感やアイデンティティーを形成する役割を果たすこと、保護者との連携の機会になることなど、学校や教員にとっての恩恵も存在しています。また、保護者にとっても子どもが成長することは恩恵と言えますし、休日の活動を安価で提供してくれる(子どもの面倒を見てくれる)ことにありがたみを感じている人もいるでしょう。

 日本社会にとっても、子どもが成長して将来の社会の担い手になることや国民の体力が向上することなど、部活動の恩恵を受けているはずです。部活動がなくなるということは、単にその時間がなくなる(またはほかの活動に代替される)だけでなく、それまで整備・構築されてきたインフラ的な機能も失われることになるのだと考えなければいけません。それに代替するものを整備するのにかかる時間や労力、経済的なコストが、部活動というインフラが持つ価値なのです。

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