【いじめに向き合う学校(3)】学校ばかりがなぜたたかれるのか

森田志歩 特定非営利活動法人Protect Children~えいえん乃えがお~代表

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 NPO法人として多数の相談を受け、中立の立場で対応していることから、今でこそ私はいじめを巡る実態というものが見えています。でも、以前の私はいじめ被害児童の親であり、学校や教育委員会に不信感ばかり抱いていました。全国で起きるいじめ問題が報じられるたびに、「やはり学校や教育委員会というのは問題が多い」と思っていました。

 私が特に「学校・教育委員会と、保護者との認識がずれている」と感じるのは、いじめの定義に関する認識です。いじめ防止対策推進法の定義では「当該行為の対象となった児童等が心身の苦痛を感じているもの」と示されていることから、学校や教育委員会はまず行為の確認をします。その反面、保護者や世論は「本人がいじめと思えばいじめなのだ」と主張します。そのため、相談すれば必ずいじめが認定されるものと思っている方が多いように感じます。

 重要なのはいじめの認定より、問題の解決や改善に向けて迅速に対応することです。認める、認めないを議論するのではなく、困っている子どもや傷ついている子どもに対する支援についての議論が優先されるべきと考えます。

 学校と保護者のもう一つのずれは「寄り添い方」です。保護者の中には「被害者なのだから、学校は全ての要望を受け入れるべき」と考え、対応を拒まれると「寄り添われていない」と言う人もいます。しかし、学校は限られた時間、限られた人で業務を行っているので限度があります。そのため、学校はできること・できないことを明確に示し、できないことに関しては、その理由を保護者に丁寧に説明することが大事だと思います。

 学校ばかりがたたかれる理由の一つとして、報道の在り方も関係していると思います。学校や教育委員会は守秘義務があるため、全てを語れるわけではありません。そうした中で偏った内容が報じられ、世間にはそれが事実と認識され、政治や世論に影響されることもあります。しかし、実態とかけ離れた内容が周知され、誤った方向へ導かれることで、犠牲になるのは子どもたちではないでしょうか。特に影響力のある方々の発信は、慎重にするべきだと思います。

 私が日々活動する中で願うことは、実態に見合った法律や制度が作られ、守られるべき子どもたちが適切に守られることです。

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