加藤康紀・創価大学准教授 就労支援と教科学習のバランス 本人の「学ぶ喜び」を Q 特別支援学校の高等部(知的)に入って2年目になります。就労にかかわる学習と教科学習のバランスで悩んでいます。私の専門は中・高の英語ですが、特別支援学校教諭免許も取りました。実は、私の弟は特別支援学校の卒業生です。清掃技能検定を受け就労したのですが、意欲をもって仕事をしていません。しかし、家では英語は好きで楽しんでいます。私の学校でも、3年生は就労を目指して、多くの時間作業学習等に取り込んでいますが、意欲の低い子もいます。私は、障害のある子どもにもっと教科の学ぶ楽しさを経験させてあげたいと思っています。 A 通常の学校の高校生は教科学習をしているのに、特別支援学校の子どもたちは就労のために作業学習をしている。もちろん、特別支援学校の教育課程がそうなっていると言えばそれまでですが、あなたは、身近なきょうだいの実際を見て親身に、もっと学びを楽しめたらいいのになあと思っていらっしゃるのですね。  就労は社会で自立し生きていくために大事なことです。特に特別支援学校の高等部では、障害のある子どもたちの将来の自立、社会参加のために、キャリア教育・就労支援の充実に多くの時間を取っています。しかし、教育の目的は就労にあるのではありません。  個人の「人格の完成」、また「心身ともに健康な国民の育成」を目指すことです。個々の児童の知・徳・体のバランスのとれた「生きる力」を育むと言うこともできます。  あなたの視点はとても大切な視点です。「学ぶ喜び」は、「生きる喜び」となり、その子の「幸福な人生」の基盤となるからです。  そこで、あなたは英語を担当しているとのこと、次の3つの側縁から「学ぶ喜び」をアプローチしてはいかがでしょうか。  1つは、個々の子どもの教科的な関心に応える授業をすることです。少ない時間かも知れませんが、英語の時間自体を充実させ楽しくするのです。  各校によってさまざまですが、英語が特設されているのであれば指導計画を明確にし、ICTの効果的な活用、ALTなどとの密接な連携なども進めるべきです。  2つは、作業学習と教科との融合をはかることです。これは実際にファストフード店で行っている事例もあります。「…サンド、スリー」「…ハンバーグ、プリーズ」など、数や名称に関する言葉を英語で使います。やはり、使ってみることが意欲につながります。  子どもによっては、清掃活動でも指示を英語にしたら意欲の出る場合もあります。  3つは、保護者との連携をはかることです。保護者の励ましや称賛は、子どもたちの最高の支援になります。宿題や家庭学習も学校と家庭が連携しあうことで、より効果が出ます。  学校によっては障害の程度を類型化して、重度のクラスでは英語を教えていない場合もあります。しかし、英語は言葉であり、コミュニケーションツールでもあります。心を込めて「ハッピーバースデイトゥユー」の歌を歌えば、立派な英語を使った学びになりますね。  (加藤康紀・創価大学准教授) 連載一覧へ

「先生、またあの山へ行こうよ」。この3月で定年を迎えた私に、卒業生たちがささやかな宴を開いてくれた。ファイナル授業と銘打った最終講義を終えたあとの居酒屋でのことであった。

東京書芸協会会長 川原世雲    書道の講習で、教えてもなかなか覚えてくれず、何度同じことを言っても初めて聞いたような反応があるなど、どうしたら理解してくれるのか、さまざまな試行錯誤をしてみました。その中で、一番効果的だった方法を紹介したいと思います。 まずは、学習できる脳を作ります。これを朝の頭体操と呼んでいます。1日の学習を始める前に頭の準備体操をすることによって学習する脳を作れば、学習内容の吸収に大きな差が出てくるのです。朝一番に「さあ、今日も朝の頭体操をします」と言うと、受講生は皆「えー」と言うのですが、やり終わるとすっきりするようで、講義への集中力がぐんと上がります。 大脳皮質はその働きによって前頭葉、頭頂葉、側頭葉、後頭葉の4つに分類することができます。前頭葉は高等な動物ほど発達していて、大脳皮質の割合はネコで3%、チンパンジーで17%ですが、人間になると30%近くを占めます。 この前頭葉には、学習、思考、意欲、注意、計画、推論、創造、抑制、情操など、人間らしい高次な機能が集中しています。また、この前頭葉は脳のほかの領域からの情報を得て、それに対して指令を出す役割も果たしています。脳を育むには、この前頭葉を中心として、広く脳を活動させることが大切であると考えられます。 それでは、前頭葉を活動させる朝体操の一例を、成人の場合で紹介しましょう。 隣り合った生徒同士が互いに自分の住所と氏名を言い合います。それを記憶して、隣の人の住所・氏名をはがきに美しく書くという作業をします。分からなくなっても書き始めたら隣の人に聞いてはいけません。 これは何をしているかというと、まず「話す」「聞く」、それから「会話」もしています。それから「記憶」し、配字、字粒などの空間の構築性について考えながら、指の細かい運動を伴って「書く」ことを行います。簡単なようですが、頭はフル回転です。 個人情報の問題もあるので、架空の住所・氏名のカードを配って、それをもとに互いに伝えて書かせるのもよいでしょう。また、物語を途中まで与え、続きを創作したり、詩を朗読して書かせたりするのもよいでしょう。「書く」「記憶する」「創造する」を中心とした言語活動であれば何でも構いません。 この朝の頭体操の所要時間は15分ほどです。十数回の講座が終了する頃になると、この朝体操は受講生にも好評で、現在も新しいネタを開発中です。時間が許せば、ぜひ「書く」朝の頭体操を試してみてください。

学級を運営するにあたり、女子が相手の場合は慎重に進めなければなりません。特に高学年では、注意が必要です。今の時代、情熱だけで学級経営はできません。戦略が必要です。私が担任した6年生の学級で、第1回目の図工の時間に次のようなことがありました。

昨年度荒れていた子が今年は頑張るようになったとします。すると、その荒れた子に追随していた子も自然と頑張るようになります。誰かが頑張るようになると、だんだんとそれが教室のムードとして浸透していき、やがて全体に波及するのです。このような「前向きな気持ちの波及効果」を教師は意識して最大限利用するべきです

新潟県小千谷市立小千谷小学校教諭 平澤林太郎  年号が慶應から明治へと転換する1868年。小千谷の縮商人、山本比呂伎は、戊辰戦争によって親を失い浮浪の生活に追い込まれ、小千谷町に流れ込んでいた旧長岡藩士の子どもたちを保護し教育するため、柏崎県知事へ2度にわたり学校設立の建白書を提出した。  当時、新政府は「賊徒の子ども」は根絶する方針を固めており、旧長岡藩の子弟を保護するのは御法度とされていた。最愛の妻と息子を病気で失っていた山本は、決死の覚悟で小千谷の町を徘徊し、浮浪する子どもたちの救済に奔走し、私財と精力を注ぎ込んだ。そして明治元年10月1日、柏崎県知事の許可のもと、わが国最初の公立小学校である「振徳館」(小千谷小学校)を創設したのである。  2つの建白書に盛り込まれた山本の公教育の思想は、時代の先を行くものであった。「天授五倫」の教養を全ての人に教える学校の必要を説き、「教育の方法は、決して急いで追い立てることなく、引き寄せ、いたわり、まちがいを正し、水が潤って川の窪地を進むように『天性の真』を一人ひとりの中に育てあげることが肝要である」としている。また「敬みて寛に在れ」は山本の自然主義の教育思想の標語であった。  小千谷小学校の児童玄関脇には「克己復礼」という山本の書の石碑がある。「克己復礼」とは、孔子が弟子の顔淵との問答で始まる論語の顔淵編に出てくる有名な言葉「一日克己復禮 天下帰仁(一日己に克ちて礼に復れば、天下は仁に帰す)」からきている。この石碑から「1日でも自己にうちかって礼の規則にたちかえることができたら、天下の人がこの仁徳になびき集まるであろう」という山本の思想を感じることができる。  山本の公教育の思想は、(1)子どもが生まれながらにもっている「天性の真」を絶対的に信じる(2)「天性の真」が自然にあらわれるように、徐々に教える(3)「礼」を中核とした徳のある優れた人物を育てる、という人間教育を常に目指す――の大きく3つの柱があるといえる。  山本比呂伎は、激動する動乱期の維新の時代、小さな自我を捨て、社会と自己とを同一化することで自分を輝かせる道を選んだに違いない。戊辰戦争後の硝煙が立ちこめる最中にあってなお、立場や身分を超え、新しい時代を目指し、共生の理念を打ち立てた山本の先見性に学び、148年目の小千谷小は挑戦をし続けている。  次回から、全国の先駆けとなっている学習学校支援ボランティアや学びの共同体が創り上げるアクティブ・ラーニングなど、新たな挑戦について述べたい。 平澤林太郎(ひらさわ・りんたろう)教諭 小千谷小の研究主任として、日本一歴史のある公立小学校で、日本一新しい教育を追究する。平成23年、日本科学教育学会科学教育実践賞(学会賞)、昨年、日本科学教育学会年会発表賞(学会賞)の受賞歴がある。

就学の視点から特別支援教育の障害について考えてみたい。   特別支援学校、特別支援学級、通級による指導、通常学級等の就学を、障害の程度の視点から、どう考えたらよいのであろうか。

今回からは、特別支援教育への移行の契機となった発達障がい問題の25年を振り返りたいと思います。

私は若いときに先輩教師から、「最初が肝心」「なめられたら終わり」などと教えられました。そうするとついつい規律(特に校則)を守らせることに必死になります。しかし、このような教師は、ごく一部の生徒にしか尊敬されません。大半の生徒の心は離れていきます。尊敬されないと当然、指導はうまくいきません。教師というだけで無条件に尊敬される時代ではないのですから、順序や段階を踏まなければいけません。

私の専門は教育相談、生徒指導であり、教科ではありません。しかし、まれに、研究授業で「指導者」「助言者」という扱いを受けることがあります。教育実習での学生の研究授業です。お恥ずかしい話ですが、以前、私はこの仕事が苦手でした。教科が専門ではないので、何をどう「指導」「助言」したら良いか分からなかったのです。

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