【総合】秋田県立西目高等学校

寺田寅彦の測量台座
寺田寅彦の測量台座
本荘由利の土木の魅力を発掘
地域歴史の観点でアプローチ

私たちの郷土は先人たちの知恵と努力によって成り立っている。本研究では「土木」にスポットを当て、調査研究を行った。その中での4つを紹介したい。

(1)由利高原鉄道に至るまでの歴史的変遷

始まりは大正3年、横荘鉄道(株)の私鉄「横荘線」である。当時の線路敷設申請書には「東北線横手停留場ヲ起点トシ(中略)由利郡本荘町ニ至ル」とある。初代社長には「齋藤宇一郎」氏(TDK創始者・齋藤憲三氏の父)が就任した。しかし、資金難から全線開通には至らず、羽後本荘―前郷は「横荘西線」としての営業となった。さらに資金難が続き、横荘西線は昭和12年に「国鉄矢島線」の一部となり、その後昭和60年に現在の「由利高原鉄道」に生まれ変わっている。

(2)折渡トンネルの形成過程

このトンネルは羽越線羽後岩谷―羽後亀田間にあり、大正6年に着工。当初は工期約1年であったが、予想外の土質にぶつかり、困難を極めたため、日本初のシールド工法に踏み切った。英文の原書を片手に試行錯誤して掘削したそうだ。シールド工法に切り替えてからも難工事が続き、約7年もの月日を要した。作業員の犠牲者も多く出ており、トンネルの岩谷側に慰霊碑が建立されている。

(3)土木学会推奨土木遺産「上郷温水路群」

にかほ市象潟町の長岡・大森・水岡・小滝・象潟の各温水路が「上郷温水路群」として平成15年の「土木遺産」に認定された。本荘由利唯一の土木遺産である。この地域の農業用水が鳥海山の雪解け水や湧水を利用しているため、冷水障害を受けやすかった。そのため「冷水温障害克服」を目的として考案された、日本で初めての温水路群である。

(4)寺田寅彦と測量台座

名言「天災は忘れた頃にやってくる」で有名な寺田寅彦。その寺田が研究目的で象潟を訪れていた。当時、ウェゲナーが「大陸移動説」を提唱。多くの科学者がその説に懐疑的だったが、寺田はいち早く「正しい」ことを確信し、測点を酒田、飛島、象潟に設置。その三角点を結び、実証を試みたそうだ。その台座が象潟三崎山山頂に寂しく残っている。

◇成果とまとめ

本研究は「地域」「歴史」という観点からのアプローチを試みた。地域を知ることは重要なことであり、今後の地域の未来を考えることにもつながると考える。

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