校長のリーダーシップ 滋賀県

カリキュラムに図書館機能

図書とPCを組み合わせて

この3月、「第三期滋賀県教育振興基本計画」が策定された。今回のキーワードは「人生100年時代」。計画には「人生100年を見据えて、生涯を通じて学び続けるためには、主体的な学びの基本となる読書活動が重要」と書き込まれ、「学校図書館ガイドライン」を踏まえて「学校図書館が、学校図書館長の役割も担う校長のリーダーシップにより組織的に運営され」るものであることが明記された。

図書室での話し合ったあとPC室に移動

学校図書館に携わる者からすれば「そう、その通り」と大きくうなずくだけだが、一般の校長先生方はどんな受け止め方をされるだろうか。「校長が学校図書館長の役割を担う」とは? そもそも「学校図書館ガイドライン」って? などと、頭の中でハテナが渦巻いていることだろう。

「主体的・対話的で深い学び」を推進するのが授業者だとすれば、校長はその環境づくりを担う存在であることは議論を待たない。

私が昨年度末まで勤務した滋賀県湖南市立石部中学校が「朝の読書」に真剣に取り組むようになって15年が経過した。

当初は、生徒が本を持ってこない、本を読まない、静かにならないという状態が続いたが、根気よく取り組むうちに自らも本に向かう担任が増えていき、今ではその10分間は誰も生徒がいないのかと思うほど静かな朝を迎えられるようになっている。

その立役者は、定期テストの日であろうと凜(りん)としてやり切った司書教諭であるが、校長がその姿勢を支持し、折に触れて朝の読書の効用を説き続け、継続に弾みをつけたことは大きい。

校長はまた、カリキュラムの中に学校図書館の機能の活用を組み込むことを提唱し、実践に広げていく使命も持ち合わせている。その好例として、滋賀県守山市立守山中学校の福井善隆校長の実践を紹介したい。

福井校長は、昨年度4月に守山中に赴任。そこで県の学校図書館研究大会が開かれるということは決まっていたが、教職員には何のイメージも共有されていないという状態であった。

しかし、守山中は校舎改築が行われたばかり。玄関を入ったところに図書室、その横にコンピュータ室が配置されており、調べる学習を進めていくためにはこの上ない環境にある。そのつくりを見て、福井校長は「いろいろな教科でこの二つの教室を使う授業を構想させたい」という「方針」を立て、研究大会ではそれを技術科に充て、「学校図書館=国語科」と思われない授業を提供する「判断」も下した。

いずれもカリキュラムマネジメントを推進し、学校図書館長としての役割を担う者のリーダーシップと呼ぶにふさわしい仕事ではないか。

だから、白羽の矢を立てられた授業者も不安感を大きくするだけでなく、校長の思いに応えたいと意気に燃えたそうである。

実際、昨年10月末に行われた研究大会では、時間のはじめに図書室の本で調べる学習を行い、それが一段落すると当然のようにコンピュータ室での検索に切り替えていくグループ学習を見ることができた。そこに、口うるさく時間を区切る授業者の姿は見当たらなかった。

「学校図書館の機能を活用した授業」とは、読書センター・学習センター・情報センターの機能を取り入れることによって各教科のねらいや内容をより深く実現する授業のことをいう。授業中の生徒や授業者に図書室での学習を無理強いしたと感じられる様子はなかった。本で調べることとインターネットを活用することを両方体験し、生徒自身がそれぞれの長所短所を実感するという、よい授業であった。

守山中学校にとっては、こういう姿をいかに当たり前にしていくかが課題である。福井校長は学校全体、個人を通して「自立と向上」を大事にし、ベテランに奮起を促し若手との融合を図っていく考えである。

ところで、司書教諭には、任命されてはいるものの授業時数が軽減されるわけではなく、業務の多さに辟易(へきえき)している人もいるだろう。また、配置が増えてきた学校司書には、身分が不安定であるだけでなく、多忙な司書教諭となかなか連絡が取れず、一人で悩んでいる人が多いのではないか。学校図書館長は、そういう「一人職」の存在にぜひ気をかけてほしい。

さらに言えば、ICT環境が整っていけば学校図書館不要論を唱え出す人が出てくるかもしれない。そういう主張に対しては、毅然(きぜん)として学校図書館の(機能を活用する)必要性を説いていただきたい。それも、校長に求めたいリーダーシップである。

 (前滋賀県湖南市立石部中学校長・小野田文雄)


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