「学び」とは何か― 認知科学からの視座 ― (1)生きた知識と死んだ知識

eye-catch_1024-768_imai_fin慶應義塾大学教授 今井 むつみ

私たちは、子供が「よく学ぶ」ことを願っている。しかし「よく学ぶ」とは、どういうことだろうか。認知科学は、人が考え、学ぶ仕組みを科学的に明らかにするのを目指した学問である。この連載では学びにおける重要なキーワードについて、認知科学の視点から考えていきたい。

「学ぶ」とは知識を得ることである。認知科学では、知識に「生きた知識」と「死んだ知識」があるとしている。生きた知識とは、問題解決に使える知識だ。死んだ知識はその逆で、覚えていても、それをいつ、どのように使ったらよいのか分からないので、それを使って何もできない状態にある知識である。

例えば、歴史の勉強で、年表に載っている出来事の年号や順番、キーパーソンの名前を覚えたとしよう。しかし、その出来事がどのような背景で、なぜ起きたのか、その事件は当時の世の中にどのような影響を与えたのかを全く理解していなければ、覚えた記憶は、事実の知識を問うテストでしか役に立たない。ちなみに、大学入試の在り方が大きく変わる2020年以降には、そのような表層的な知識は入試ですら役に立たなくなるだろう。

英語でも、個別の英単語を一つの日本語の単語に置き換えて覚えても、文は作れない。仮に5千の英単語に対応する日本語単語を暗記しても、英語を話すことはできない。翻って、5千の英単語を「知っている」英語を母語とする子供(3歳児)は、知っている単語を駆使して自分の言いたいことを表現できる。前者は死んだ知識の良い例、後者は生きた知識の良い例である。

なぜ生きた知識は問題解決に使え、死んだ知識は使えないのだろうか。生きた知識は、学び手が持つ他の知識システムに統合されているということ、異なる状況や文脈で過去に何度も使われているから、問題に直面したときに、すぐに応用可能な形で取り出せるようになっているのである。

それに対して、死んだ知識は、読んだり聞いたりしたことが断片的に記憶されているだけで、知識システムに統合されていない知識なのである。トルコの伝統料理のドネルケバブは、肉片を積み重ねて巨大なちくわのようにしていく。統合されず知識の断片を積み重ね、知識ケバブを肥大させても、それを使って問題を解決することはできない。

知識は体系の中に統合され、他の知識コンテンツとリンクされ、何度も使われることで、初めて自在に取り出し可能になるのである。