【連載】原点からの「情報教育」再考 1 「情報」をどう定義するか

(一社)コンピュータソフトウェア著作権協会専務理事 久保田裕

 

「情報」を原点から捉え直し、「情報教育」について再考する連載を始める。執筆するのは、(一社)コンピュータソフトウェア著作権協会の久保田裕専務理事。

◇  ■  ◇

平成15年度から高校の教科に「情報」が取り入れられ、10年以上の月日が過ぎた。当初から、この教科の内容が、パソコンのワープロ、表計算といったアプリケーションソフトの使い方だったりプログラミング教育だったりしたことには、批判があった。確かにソフトは次々と更新されて使い方が変わるし、誰もがプログラマーになるわけでもない。それに、パソコンやソフトは、情報機器や情報ツールではあるが、情報そのものではない。

これは小学校、中学校にも通じる課題であるが、本来、教育すべき情報とは何なのか。

高校学習指導要領では、情報科の目標を「情報及び情報技術を活用するための知識と技能を習得させ、情報に関する科学的な見方や考え方を養うとともに、社会の中で情報及び情報技術が果たしている役割や影響を理解させ、社会の情報化の進展に主体的に対応できる能力と態度を育てる」としている。

だが、まずは「情報」の意味を定義しなければならない。皆さんは、どのような定義がふさわしいと思われるだろうか。

私は「人と何らかの思想・感情などの意味を共有するために表現した内容」と定義できるのではないかと考えている。

例えば、私がここに書いている原稿は、読者に伝える「情報」である。学校の先生が授業で児童生徒に伝える内容も「情報」といえるし、子どもが学校であったことを親に言う内容も「情報」。新聞やテレビで伝えられる記事や番組も「情報」だ。ブログや、フェイスブック、ツイッターといったソーシャルネットワーキングサービス(SNS)で発信されている内容も「情報」にあたる。身振り手振りや表情といった言語で表現されていないものも「情報」だ。

これらの違いは、そのメディアだ。教室や家庭において直接会話でコミュニケーションすることと、マスメディアを通じて文字や放送で伝えることと、SNSなどネットのツールを使って文字や写真でコミュニケーションすることでは、情報の伝わり方が異なるはずだ。

こう考えると、情報教育においては、人に対してどう伝えるか、どんな伝え方がその人の思いや伝えたい意味を最もふさわしく表せるかといった点が重要だ。SNSやLINEのようなコミュニケーションアプリが発展し、スマホやアプリの使い方は、今や誰もが教えられることなく使いこなしている。

だから、情報機器や情報ツールの使い方を教える意味は全くないとまではいわないが、あくまで副次的なものだろう。問題は、その内容である「情報」をどう選択し、「何を通じて伝えるか」というメディア特性の理解と選択なのだ。

私が30年にわたって携わってきた著作権についても、誰かが創作した著作物は「情報」といえる。創作し、表現した時点で権利が生まれる著作物は、何をどう表現し、どういう手段で伝達するかといった「情報」そのものの定義に当てはまるのだ。

ただし、自分の著作物だからといって、自由に公表していいものでもない。例えば、誰かを撮影した写真をネットで公表するのは、著作権法では問題ないが、被写体となった人の肖像権を侵害するおそれがある。つまり、著作権だけ守っていれば現在の情報社会で十分というわけではなく、「情報」を適切に伝えるためにはどうすればよいのかを意識することが重要なのだ。

学校で「情報」教育が行われるようになって以降、SNSなどネットを通じて誰もが情報を発信することも情報を探すこともできるようになった。その結果、ツイッターに書いた一言が「炎上」を招いたり、何気なく載せた写真から自分の自宅を割り出され、嫌がらせを受けたりする問題も起きている。

これらは、何を書くかといった「情報」と、何を使って伝えるかというメディアの選択に問題があったといえるのではないか。

この連載では、なぜ「情報」とメディアの選択に留意するべきなのか、ネット社会の具体例とともに、「情報」について考える学問としての「基礎情報学」についても触れていきたい。