【連載】原点からの「情報教育」再考 5 伝え合いの中で意味を共有

(一社)コンピュータソフトウェア著作権協会専務理事 久保田裕

 

コミュニケーションに尽きる

情報社会において、自分の立ち居振る舞いを考えて行動するには、「情報」の本質を理解することが重要である。このことを学校の先生に認識していただき、児童生徒にしっかりと伝えてもらうためにはどうしたらいいのだろうか。

そんな悩みに「基礎情報学」が応えてくれるのではないかと思い、研究会に参加して勉強している。

基礎情報学の第一人者である西垣通東京大学名誉教授によると、われわれ一人ひとりが認知できるのは、閉じた「主観世界」であり、そこで「情報」が生まれるとのことである。主観世界は一人ひとりの心の中に閉じた世界だが、一方で、他者とのコミュニケーションの結果、他者へと何らかの情報が伝達されていることから、情報伝達をモデル化して、情報現象の本質に迫る学問が「基礎情報学」なのだ。

情報は「人と思想・感情などの意味を共有するために内容を表現したもの」と定義できるのではないかと、私はこの連載の中で書いてきている。基礎情報学においても、情報の本質は「意味作用」であると捉えられている。

基礎情報学では、生物は生きるために刻々と何らかの行為を行っているが、行為を行う際、何らかの選択が実行されており、その選択の際に役立てられるのが情報であるとしている。このことを理解する上で大切なのは、情報が客観的なもの、既存のものとして与えられているのではなく、生物の主観的な行為とともに出現するものだということである。情報とは、あくまでも個別の主観的な存在に他ならない。

したがって、基礎情報学以前の学説では、情報は他者に通じないものだとされていたが、基礎情報学は、それを乗り越え、「コミュニケーション」による情報伝達をモデル化したのだ。

しかし、現実社会において、客観的な世界(情報)というものが存在していることを前提に情報を論じている学説もある。人間の社会が、「ビール」や「山」のように言語によって記述することが可能であるから、客観的な世界が存在しているようにとらえられることもあるだろう。だが、基礎情報学の視点では、世界を認識し、情報を与えるのはあくまでも個々であり、主観世界しか認知できないのだ。

仮に、客観的な世界が存在していたとしても、誰もそれを正しく把握することはできない。例えば、1杯の「ビール」を見てもビールが好きな人とアルコールの飲めない人の得る情報(味)は全く異なる。登山が趣味の人とアウトドアが好きではない人が「山」という言葉を聞いて得る情報(想像する世界)も異なる。また、私がここに書いている原稿も読者に伝える「情報」であり、意味や意図をもって表現されている。それでも、私の筆力、読者の認知、認識能力の違いによって、伝えたい内容が読者全員に完璧に同じく伝わることはありえない。

だから、情報の理解を進めるためには、繰り返し、コミュニケーションによって情報の意図の正確性を伝え、確認し合わなければならない。情報は、絶え間ないコミュニケーションの持続、継続によって、初めてその意味内容を共有することができるものなのだ。

コミュニケーション、特にフェース・トゥ・フェースのコミュニケーションによって、情報の意味を共有することが大切であるという話は、今までもコラムに書いてきたが、基礎情報学を学ぶことで、情報社会の中でどう行動するべきかという指針を、俯瞰して考えられるのではないかと、私は考えている。

高校の情報教育に基礎情報学を適用しようと研究を行っている先生方もおり、私も参加している。ぜひ、基礎情報学的アプローチを高校の教科「情報」や初等中等教育のレベルでも取り込んでもらいたい。西垣名誉教授の『生命と機械をつなぐ知 基礎情報学入門』(高陵社書店)という本は、基礎情報学の入門書としては優れた内容なので、ぜひ読んでみることをおすすめしたい。 (連載おわり)

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