【連載】探偵がみた学校といじめ 第10回 知識不足が重大ないじめを誘発

NPO法人ユース・ガーディアン代表理事 阿部泰尚


全10回のコラムは、今回で最終回。最終回は、僭越ながら先生たちへエールを送りたい。

私は立場上、いじめの被害を受けた子どもの保護者と話す機会が多い。

次いで、いじめを受けた本人と話し、担任教員や校長と話す機会があり、協力してくれる同級生やその保護者とも話をする。

そこで思うのは、いじめは悲しい出来事であり、誰もがいじめをなくしたいと考えているということだ。

しかし、加害者への擁護が行き過ぎているケースがある。一方、犯罪者を扱うようにあまりに厳しいケースもある。私はどちらも違うと考えている。

学校での対応について、私が先生たちに話すことの多くは、いまがチャンスであるということだ。その前提として、私は教育とは人を作るものだと考えている。そして、いじめは、いまの世ではどこでも起こり得るものだとも考えている。

その上で、発生してしまったいじめは、過去に戻って防ぐことができない以上、今、そしてこれからどうするべきなのかが重要である。

ここで、私から先生方に2つのことをお願いする。

1つは、被害者を必ず守ってもらいたいということ。

私はここに命をかけている。良識ある教員にそれができないはずもない。一緒に泣き、一緒に考えるでもいい。守るという態度を、子どもたちに徹底的に示してほしい。

もう1つは、加害者を正常な道に戻すための教育をしてほしいということ。

「いじめ」は、加害者の人生にも大きな影響をおよぼす重大な出来事なのである。彼らもまた、救わなければいけない対象である。そして、しっかりとした対応をすることは、傍観者となった多くの子たちの学びともなる。

つまり、加害・傍観層への教育のチャンスであり、子どもたちも身の回りで実際に起こったことは深く実感できるはずなのである。

いじめは、その場だけの対応ではほとんど効果がない。お互いが対等の立場でもめるけんかとは、そもそもの性質が異なるのだ。謝罪の会をやったから終了、とはならないのである。

いじめを確認したのであれば、継続的かつ計画的にその後の指導を行い、よく観察し、異変へのアンテナを張るべきである。

例えば、いじめた側の子がクラスの中心的人物であったり、成績が優秀であったりする場合など、指導が行きわたっているような感覚に捉われてしまい、担任からはよく反省しているように見えることがある。経験上、多くの場合、その後のいじめが巧妙化し、把握しづらくなっているだけである。

いまの学校現場を見ていると、学級担任が1人でいじめに対抗しようとするには、あまりに荷が重い。校長を筆頭とした教員チームを組んでも難しいケースがある。教員チームだけでうまくいっているのであれば、相当に優秀だと思う。

いじめが少ない学校、初期消火ができている学校は、保護者を巻き込んでいるし、地域も巻き込んでいる。つまり、周りの大人がいじめを含めた問題行動に対応しているのだ。

それらの活動は、誰かの投じた小さな一石から始まっている。私はその活動を応援したいと、強く思っている。

(おわり)