【連載】校長のパフォーマンス 第60回 コミュニティシップ

教育創造研究センター所長 髙階玲治

最近、コミュニティ・スクールがかなり広がりはじめている。昨年の12月に「新しい時代の教育や地方創生の実現に向けた学校と地域の連携・協働の在り方と今後の推進方策について」という中教審の答申が出されたが、内容のほとんどはコミュニティ・スクールに関するものである。

その結果として、コミュニティ・スクールは加速するであろうか。そこで考えるのは、最近カナダの経営学者ヘンリー・ミンツバーグ教授が言っている「コミュティシップ」という言葉である(ダイヤモンド・オンライン1月26日)。

かつてマクルーハンは「グローバル・ビレッジ(地球村)」を提唱したが、その世界では互いに触れ合うことがなくても、相手とコミュニケーションが可能である。その実態は多様に進化して、ビジネス・コミュニティの形で共通の利害のみで物事が展開する。しかし、世界各地で起きるさまざまな問題は、瞬時に世界を駆け回るが、コラボレーションとして役立っているのは限定される。

そこでミンツバーグは、企業にとって電子的なコミュニケーションは不可欠だが、より重要なのは、新たなITでどれほどつながっていようと、企業の核になるのは人間同士の直接的な協働関係であることに変わりがないと考える。

「新しいデジタル技術はコミュニケーション強化には有効である反面、取り扱いに注意しないとコラボレーションに悪影響を及ぼしかねない。人間が電子機器を通して触れるのは、キーボードだけなのだから」という。そしてソーシャルネットワーク全盛の陰で失われていく「コミュニティ意識」の重要性を説いている。「デジタル時代の経営における人間性の大切さ」である。

100年以上前、「コミュニティ」という言葉には次のようなニュアンスがあったという。「特定の地域における特定の人々のグループ。メンバーは互いに知っていて、互いに評価し、見守り合う。習慣と歴史と記憶を共有し、時には一部のメンバーのために全員で行動しようと決意できる」。

コミュニティ・スクールを考えるとき、今後ますます進むであろう電子機器の進展によって学びが記号化される世界とどう向き合うかである。アメリカでは1990年代以降生まれを「ジェネレーションZ」と呼ぶが、その世代が異なるのはデジタル機器を幼児から体験していることである。

人と人とをつなぎ、共同社会を構成できる地域のコミュニケーション化が可能になれば、そこに共通の利害とともに、価値観や歴史、記憶を共有し、そこに住むことの幸せを体得できる。その意味でコミュニティ・スクールは地域の子どもをどう育てるかとともに、まさに地域創生の役割を持つのである。

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