【連載】教育の落とし穴 子どもの安全・安心を考える ⑥ 子供はどう受け止めていたか

名古屋大学大学院准教授 内田良

 

m20161117_02■「子供たちは、やりたがっている」のか

巨大な組み体操の危険性は、今日でこそ多くの人たちに認知されるようになった。だが、数年前までは、むしろ巨大なものほど拍手喝采であった。それゆえ、かつて平成26年に私がインターネットの記事で、組み体操の事故について指摘した際には、反発的な声が圧倒的に多かった。

反発する声の一つとして、私が学校の教師からよく耳にしたのが、「子供たちは、やりたがっている」というものだ。上級生が運動会の華として、保護者や地域住民を前に、巨大な組み体操を披露する。それを見て育った子供たちは、次こそは自分がそれを披露するのだと、士気を高めていく。そして本番が成功した際には、皆が涙を流して喜ぶのだ、と。

■SNSから届く声

当初私は、そのような説明はある程度妥当なのだろうと思っていた。それゆえ、「子供が満足しているとしても、危険性が高いのだから、巨大な組み方をやめるべき」という論法をとっていた。

ところが、TwitterをはじめSNSを通じて、それとは逆の意見を多く目にすることになる。たとえば、「膝に小石がめり込んで痛かった」「ただ重いだけで、何の意味があるかわからなかった」という声である。「一体感」や「感動」からはほど遠い体験談が飛び交っていた。

なるほど教師に届くのは肯定的な声が多いのだろう。教師に向かって「やりたくない」とは言いだせないものだ。他方で、匿名性の高いインターネット上には、善かれ悪しかれ、率直な意見が出てくる。

組み体操の指導の中には、「痛い」と訴えるのを禁じるものもある。「痛い」と言っていては、技が組み上がらないからだ。だが、「痛い」を封じることによって、痛みが極限まで増大し、組み体操が崩壊することにもなる。教育活動とは、リスクと引き換えの上ではなく、安全を最優先にした上でこそ、はじめて成り立つべきものである。

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