【連載】なぜ、ゆとり教育は失敗と言われてしまったのか 第2回 いわれなき批判が止まらない

京都造形芸術大学教授・元文科審議官 寺脇研

 

前回は、平成32年度実施が予定される次期指導要領が、平成14年度に実施された前指導要領の延長線上にあるのを示した。ではなぜ、そう思われていないのだろうか。

それはひとえに、前指導要領が「ゆとり教育」のレッテルを貼られたところに始まる。

私の記憶では、平成11年頃に、マスコミが「ゆとり教育」という言葉で、この指導要領の目指す教育を表現するようになった。当時、文科省(平成12年までは文部省)のスポークスマン的な役割を担当した者として、経緯を説明しよう。

この指導要領が前年に告示された時点では、従来の知識詰め込み型の教育から脱却を図るものとして、全体的に極めて高い評価を受けていた。しかし、完全学校週5日制に伴う授業時間数の減少や、基礎基本を確実に習得させるとともに、選択学習の幅を拡大させるための教育内容の厳選が「学力低下」の心配を招き、批判の声を生んだ。

それら賛否の議論を整理するため、それまで改善が求められてきた「詰め込み教育」との対比で「ゆとり教育」と呼ばれるようになったのである。基となった平成8年の中教審答申が「子どもたちに『生きる力』と『ゆとり』を」をスローガンとして掲げ、「ゆとり」をキーワードの1つにしていたことも、このネーミングにつながったのだろう。

答申における「ゆとり」は、「生きる力」を必要とする前提として、経済成長の中で人々がそれを失い、子供たちが「ゆとり」のない忙しい生活を送らされているのを、何とかしようではないかとの文脈で使われていた。それを「ゆとり教育」と言ってしまうと、いかにも教育の厳しさを緩めて甘やかすかのように聞こえる。そのために批判側の勢いが加熱され、学力低下批判の言説が跋扈するようになってきた。

首都圏の有名進学塾が「円周率が3になる」「台形の公式よ、さようなら」というセンセーショナルなキャンペーンを張るなど、国民の耳目を引くような主張がなされ、マスコミもこれに追随するかのように面白おかしく取り上げる。

また一部の大学教授が自らの教えている学生の学力低下を言い立て、それは過去の初等中等教育や大学入試制度の結果、大学に入りさえすればもう安心とばかり、学ぶ意欲に欠けた大学生を生んできたからであるにもかかわらず、世間の不安をあおった。

もちろん、文科省はこれに反論している。中教審会長として平成7年答申をまとめた有馬朗人大臣をはじめ歴代大臣は、国会答弁やマスコミ取材への回答で理念を繰り返し強調した。大島理森大臣は大臣声明を出したし、町村信孝大臣は教育改革アピールの全国行脚を試みた。

初等中等教育局は、教育内容を厳選した趣旨を丁寧に解説すると同時に、学習指導要領は最低基準であることを明言し、そこに示していない内容を発展的に指導できるとした。すなわち、発展的な学習、補充的な学習、少人数指導、習熟度別指導を可能にするとしたのである。さらに、誤解を解くためのQ&Aまで用意して、円周率は3・14のままであり、およその面積を求めるなどの際に3を用いること、台形の公式を単に当てはめて計算するのでなく、三角形の面積を組み合わせるなど自分で工夫して解くことなどを懇切に説明した。

この姿勢は、子供に最も近い位置にいる保護者にはおおむね理解された。保護者団体である日本PTA全国協議会は「学力低下」批判を退け、文科省の方針を支持する意思決定を行う。

だが、論理よりも感情が先行するマスコミの論調を変えるには至らなかった。『学力崩壊「ゆとり教育」が子どもをダメにする』といったショッキングな題名の「ゆとり教育」批判本も多数出版され、「詰め込み教育」で育った経済人や言論人の共感を得る。そのうち与党の政治家の中にも同調する動きが出始めた。

文部科学省の懸命の努力にもかかわらず、いわれなき批判は止まらなかった。そして……。

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