【連載】なぜ、ゆとり教育は失敗と言われてしまったのか 第3回 議論なく「脱ゆとり」大合唱

京都造形芸術大学教授・元文科審議官 寺脇研

 

平成14年4月の前指導要領実施が近づいてくると、「ゆとり教育」への風当たりは一層強くなってきた。新聞、雑誌、テレビと「学力低下」を言い立てる論調の「ゆとり教育」批判が渦を巻く中、当時の遠山敦子文部科学大臣はこのままの実施に、ちゅうちょの気持ちを抱くようになる。

遠山大臣は政治家でなく、文化庁長官などを歴任した元文部官僚だ。小泉純一郎首相の肝いりで、民間からの女性大臣として前年に起用されたところだった。文部行政の経験には富んでいたものの、前任の町村信孝大臣などが直接国民に語りかけ理解を求めたような政治的行動には馴染まなかった。

また、この指導要領の方向を定めた平成8年の中教審答申が出され、世間から極めて肯定的に受け止められていた時期には、駐トルコ大使の任にあって3年以上にわたり日本を離れていた。「学力低下」と騒がれ始めた頃に帰国したわけで、大臣就任前から〔ゆとり〕や〔生きる力〕に懐疑的な思いを持っていたらしいのも無理からぬところがある。

そのため、大臣として「ゆとり教育」批判に直面したとき、歴代の大臣と違い、一部軌道修正すべきという判断を下したのだった。それが、平成14年1月の「確かな学力向上のための2002アピール『学びのすすめ』」である。4月からの実施3カ月前に出されたこの大臣アピールはマスコミにも大きく取り上げられ、教育現場にも激震を走らせた。

なぜなら、「確かな学力」という、それまでの文科省説明にはなかった新しいキーワードを持ち出し、これをひたすら強調したからである。

アピール冒頭で「新しい学習指導要領は、基礎・基本を確実に身に付け、それを基に、自分で課題を見付け、自ら学び、自ら考え、主体的に判断し、行動し、よりよく問題を解決する能力や、豊かな人間性、健康と体力などの『生きる力』を育成することを基本的なねらいとしています」と従来通り確認しておきながら、以下は「確かな学力」一辺倒なのだ。

しかも、根拠のない「学力低下」論に乗るかのように「『確かな学力』の向上」を繰り返す。これでは、「生きる力」より「学力向上」だと受け取られても仕方なかった。事実、4月の実施を前に現場は動揺し、「生きる力」に結びつく総合的な学習よりも「学力向上」のための授業を優先する動きが目立つようになる。

ただ、大臣アピールだけが理由ではない。「生きる力」と総合的な学習について、文部科学省による現場への指導が徹底していなかったのも災いしたようだ。平成4年から実施された前々指導要領までは、改訂時には全国各地で趣旨徹底講習会が多数行われてきた。私もこの改訂のときは初等中等教育局の課長をしており、趣旨徹底に飛び回ったものだ。それが、その頃流れとなっていた地方分権に配慮し、この時は主として都道府県に委ねられてしまっていたのである。

現場が「生きる力」や総合的な学習を十分に理解しきれていない面もある中で「学力向上」が叫ばれたために、一部では総合的な学習は早晩廃止されるとの早合点まであった。マスコミは「『ゆとり教育』撤回」などとはやし立て、前指導要領は船出から暗雲垂れ込めることとなった。

もちろん、趣旨を理解し「生きる力」育成に打ち込む学校や地域も多かった。文部科学省も、「生きる力」と「確かな学力」は両立するものと現場に伝えるために、翌平成15年に、早くも指導要領を一部改訂し、(1)最低基準である指導要領に示していない内容を加えて指導できるのを改めて明確化(2)総合的な学習の一層の充実(3)個に応じた指導の一層の充実——を掲げた。

「生きる力」という本質を貫く中で、学力に対する不安に応える意味で、基礎・基本の「確かな学力」をも保障するというメッセージである。

にもかかわらず、マスコミはこうした本質的な議論に触れようとせずに「脱ゆとり」の大合唱を始めるのだった。

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