【連載】中教審答申 ここに注目③

東洋大学文学部教授 下田好行

 

ALをどのように実現させるのか
1.答申のポイント

2020年から2030年の社会に生きる子供を育成するための答申である。この時代は現在に続く知識基盤社会、IT化、グローバル化に続き、人工知能やロボット工学の発展により、労働市場の変化が予期される。

英オックスフォード大学のマイケル・A・オズボーン准教授は、『雇用の未来』で「今後10~20年で米国の総雇用者の約47%の仕事が自動化されるリスクが高い」と述べた。こうした社会に備える教育の指針が答申では語られている。

答申の根拠となる資料は、OECDのPISAと全国学力・学習状況調査である。日本の子供は、判断の根拠や理由を示しながら自分の考えを論理的に説明するのが苦手である。特に相手を説得するための「思考力・判断力・表現力」に欠けている。そこで、現行の学習指導要領では教科横断的に「言語活動の充実」を行うこととした。

しかし、「言語活動の充実」は、学習や活動の後に感想や意見を交流するだけの底の浅いものになってしまった。

そこで、次期の学習指導要領では、「主体的・対話的で深い学び(アクティブ・ラーニング=AL)」を強調することになる。また現代社会が持つ課題を学習活動に反映させ、地域の人材活用を推進し「社会に開かれた教育課程」を実現しようとするため、カリキュラム・マネジメントを推奨しようとしている。

この方向性を実現するために答申では、学習指導要領の枠組みを変えようとする。従来の教育内容の例示から「何ができるようになるのか(育成を目指す資質・能力)」に、その提示の仕方を変えようとしている。

2.ALの実現は難しい

ここで問題となるのが、この答申の実現可能性である。答申ではALを導入し、主体的・対話的で深い学びを行おうとしている。

こうした学びを実現するためには多くの学習時間が必要である。このため、ゆとり教育時代では、学習内容の削減を行ってきた。今回はこの削減を行わない。そうすると、ALがはたして成立するかどうか、疑わしくなってくるのである。

答申では教科横断的に学習内容を関連させ、カリキュラムをマネジメントすることによって可能であるとしている。だが学校は、相変わらず教科書とドリル・テスト中心の授業になっている。教師はこれらをこなすだけでも精一杯である。教師が教科横断的なカリキュラムを行おうとしても、多忙でそれを考える時間がない。

第一、中学校では、教科横断的なカリキュラムは成立しない。校長を中心にカリキュラム開発を全校的に行わなければ無理である。また小学校教師は観点別評価に苦慮している。保護者への説明を恐れるあまり、業者テストを導入し、それに振り回されている。

ALを行うためには、その時間を確保する必要があるのである。教科書の教師用指導書の単元計画通りに授業を進めていては、到底時間が足りなくなる。時間を生み出すためには重要な学習内容を中心に教え、優先順位の低い内容は簡単にすませる必要がある。そうして時間を生み出し、それをALに回すのである。

しかし、中学校では生徒が中間・期末考査で不利にならないように、まんべんなく教える必要がある。こうした教師の裁量は使えないのが実情である。

3.中教審答申の課題

今回の答申は、PISA型学力である「課題解決のための思考力・判断力・表現力」をより効果的に行うために、AL、カリキュラム・マネジメント、学習指導要領の枠組みの変更を企するものである。

しかし、前述したように10年後の社会は人工知能やロボットが活躍する社会である。そこでは知識と知識を組み合わせて新たな知識や価値を創造するクリエーション(イノベーション)が重要となる。新たな創造を生み出すのは直観やひらめきである。

こうした感性を重視する教育が答申に盛り込まれていない。

もはや知識の詰め込みは何の役にも立たない。知識は道具として使用してこそ意味がある。教科書をなぞるような授業はもはや時代遅れである。デジタルの教科書や教材が出てくれば、教科書検定は意味を失っていく。少なくとも教科書の広域採択は何の意味をもたない。こうした教委や文科省の改革なしには、日本の教育はいまだ明治時代であるといわざる得ない。少なくとも欧米並みに足並みをそろえてほしいと思う。

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