【連載】「ライブとしての授業」を研究する やりがいのある校内研究のススメ 1

京都教育大学教授 榊原禎宏

 

授業とはどういうものか

学校教員の職務はあまたあるけれど、免許状の関係からいっても、第一義の仕事は「よい授業」を行うことである。そして、どうすればそうなるのかを追究するのが、授業研究といえる。

ここで問われるのは、授業という現象(研究の対象)にふさわしい研究の方法を定めることだ。

例えば、全国の中学生の意見を知りたいときには、数人に尋ねるだけでは不十分であり(サンプルと母数の関係)、個人史を描きたいのに、アンケートに記入してもらうだけというのも不適切である(データの質と量の関係)。

ならば、授業者と児童生徒がいる、教材(学習材)のある場所と時間から構成される授業を捉えるには、どのような方法が適切だろうか。

そこで、授業を形づくる変数がどのような特徴を持っているかを確かめよう。

(1)チーム・ティーチングなどを除き、授業者は1人に定めたとしても、多くの場合、児童生徒の数は数人から40人くらいまでの幅があり、それは偶然にそうであるだけだ。野球やサッカー、バスケットやラグビーのように、プレーする人数を基本的にあらかじめ決めることができない。前日まで活躍していた児童生徒が病気で欠席するのは日常茶飯で、スポーツのように控えの選手がいるわけでもない。

(2)授業内容ほか学校生活への関心・意欲・態度、さらに広く能力は児童生徒間で決して一様でなく、しかもそれらを整えられない。試合に勝ちたいという意志が最低限の条件であるメンバーシップは保証されず、かといってその意志のない生徒を外すこともできず、しかもそんな生徒にこそ意欲を持たせる授業をすべきという価値観が支配的なために、プレーに臨む上での前提を欠く。

(3)授業の目標や課題は掲げられるものの、それが1時間あるいは数時間の単元で達成できたかどうかは定かではない。なぜなら、後になって理解できる、技能が身につく、興味をおぼえることはまれではなく、反対にそのときにわかった、できた、面白かったことが、後に大きく変わってしまう「学力の剥落」も広く観察される。

例えば、大人となって久しいいま、当時は解けた高校入試や大学入試の問題に臨んでみればいい。卒業した高校や大学に合格できないこと必至である。

このような、人数を決められない、授業への姿勢や能力を揃えられない、所定の時間や回数の中でどこまで到達しかつ確定できるかがわからない、という授業を、「よりよく」するための研究とはどういうものだろうか。

それを導くためには、いまなお適用が試みられている「仮説―検証」というスタイルの授業研究を、俎上に載せなければならない。