【連載】クオリティ・スクールを目指す 第98回 特別支援学校の体験的な課題

教育創造研究センター所長 髙階玲治


教師力を支えた心の靱さと笑顔

昨年3月、千葉県立特別支援学校を退職した真田喜美子さんが、2月11日に教職の思い出を千葉教育創造研究会(久保木徳会長)で話した。

真田さんの初任校は県立養護学校で、1年目は3人を担任した。その3人は、這い這いできる、膝や尻をついて移動する、寝返りするだけは可能だったが、言葉がなく喃語なんご程度だった。何よりも笑顔がない。そこで、どうしたら笑顔が生まれるか、を考えて思いついたのが、当時は箱車が無かったから、リヤカーに乗せて外気に思い切り触れさせることだった。

校門の前の道を3人乗せて力いっぱい疾走する。子供たちが声をあげて笑った。それが嬉しくて何度も挑戦した。

その後、小学校を5校経験して、教職人生の最終コースとして県立特別支援学校を選んだ。養護学校の経験が原点だった。そこで真田さんは、小学部重複学級、普通学級、院内学級の担任として、自閉症児の指導、生活単元学習、家族支援などに力を入れた。

最近の保護者は、最後まで迷い入学を決める親が多くなった。「ぎりぎりで決めました」「小学校へ入れたかったです」と語る。特別支援学校に入ると、小・中学校への転校は難しかった。

それでも最近は入学する数も多くなり、木更津市を含む3市の通学区のみで小・中・高等部250人である。10年前よりも約50人増えたという。教室が足りなくなって職員室を当てたため、会議や打ち合わせは体育館や給食室で行うようになった。発達障害の程度も多様化し、個に応じた指導が難しくなっている。教師の協働意識に影響が出るのでは、と心配になる。

さらに突然、教育事務所の要職にいた夫が低ナトリウム血症で意識が低迷し動けなくなった。在宅看護や入院施設探しなど、仕事との両立に悩む日が続くようになった。定年前に辞めようかと決心したが、周囲の人たちから励まされて続けることになった。そんな状況で、認定心理士のすべての資格を放送大学で取得した。

真田さんを支えていた強靱さは何だったのか。それは母の教えだったという。「今、自分がいるところで一生懸命がんばりなさい」「どんな時も、笑っていたほうがいいんだよ」と、母は言い続けていたという。

最後の数年は、若手の指導を任される役割になった。さまざまな障害やニーズのある子供たちについて、一人ひとりの特性に応じたよりきめ細かな指導はどうあればよいか、その具体的な指導スキルを若手教師にどう体得させられるか、そこにも難しい課題があった。

退職して1年。特別支援教育の学習指導要領が改訂され、発達障害のある児童が別室で学ぶ通級指導の基礎定数がやや改善された。真田さんはどう思っているであろうか。