【連載】校長のパフォーマンス 第75回 集団思考の陥りやすい罠

教育創造研究センター所長 髙階玲治

新学習指導要領は「主体的・対話的で深い学び」が主要な課題となって、対話的な学びが賑わっているが、今から40年以上も前に「集団思考」という言葉がかなり広まっていたことがある。

「集団思考」は定義が明確だったわけではないが、学習課題について学級で集団討議し、互いの意見を交換しながら問題解決していく授業展開を指していた。個を伸ばすにしても、一人で課題解決に向かうのではなく、集団で互いに意見を述べ合う形で切磋琢磨するという、集団としての思考の高まりを期待する授業の展開であった。

例えば、社会科の授業で文明開化を学習する場合、教科書を単に資料的に読み込むのではなく、幕末と明治の同じ地域の絵を眺めて、何か違ったことを発見する。1人の発見が、集団で交流することで多様な発見に導かれる。

さらにその事実から、なぜ変わったのかを考え、当時の社会の変化について多様な視点から論議する。

基本は、個々の狭い思考レベルを集団で討議することで、より豊かな深い認識にたどりつくことを狙ったものである。最近の「対話的な学び」と似ているであろう。

しかし、最近は「集団思考」という言葉を授業などで使わなくなった。この言葉が使われなくなったのではない。雑誌の論文などに時に見かけることがある。どうやら意味が変わったらしい。

ウィキペディアによれば、集団思考の言葉には一般的によくない意味合いがあるという。特にアメリカでは、集団で合議を行う場合に不合理な判断や意思決定が容認される場合に使われている。

例えば、日本の真珠湾攻撃の可能性を過小評価した当時のアメリカ陸海軍首脳の判断、ウォーターゲート事件が政権存立に与える危険性への認識が欠如していたニクソン政権など、危険な意思決定が行われることから「集団浅慮」ともいわれている。太平洋戦争当時のわが国の状況にも多く当てはまることである。

そのような政治的状況のみでなく、日常の「集団思考」も似たような「集団浅慮」に陥らないか危惧する声がある。その陥りやすい罠には、例えば(1)誰か強力なリーダーの判断に集団が従う(2)手元にある情報に偏りがあるのに気付かない(3)少数意見を無視する(4)合理的に決定したと思いこみ周囲の助言を無視する(5)違う考えがあっても集団の考えを優先し従う(6)自分たちに都合の悪い情報は切り捨てる――などがある。

今後、授業において「対話的な学び」は盛んになると考えるが、教師集団のやりとりの場でも対話は重視される風潮が生まれるであろう。悪しき集団思考に陥らないためにも、意思決定のプロセスと結果について十分な配慮が必要である。

関連記事