学習する組織 コーチングで変革へ(1)教育学を超える「学習学」へ

eye-catch_1024-768_honma京都造形芸術大学 副学長 本間正人

私は、四半世紀にわたり、教育学を超える「学習学」(Learnology)の構築を目指して、研究・実践活動を展開してきた。

これまでの教育学は、ともすれば「学校という場において教える側が主役の教育」(Teaching)中心であり、学ぶ側(Learner)は、「受け身で教わる」という受動的な立場に置かれていた面が否めない。

しかし、e―Eラーニングが急速に進化を遂げ、スマートフォンなどのIT機器の普及が加速する中で、学校現場のイノベーションも待ったなしの状況にある。

本来、能動的な学習者(Active Learner)であるべき児童・生徒・学生が、受動的な被教育者(Teachee=教わる人)になってきたことが、文部科学省が「主体的・対話的で深い学び」を重視し、社会的にも注目を集めている背景にある。

「アクティブ・ラーニング」という言葉を使うか、使わないかは別として、教室において、「紙の教科書をメインの教材とした一斉授業」が当たり前ではなくなっているのは間違いない。子供たちの経済事情も家庭環境も多様化し、学習スタイルや学習速度の均質性を前提とした授業の展開の限界も露呈している。一人一人の学習者に対応した個別指導と、相互に協働し、学び合う教室運営が不可欠になっているのだ。

しかしながら、表面上、形式的にペアワークやディベート、ロールプレーや共同制作活動などを行ったとしても、学習者の能動性を引き出すことができなければ、本末転倒である。真のアクティブ・ラーニングとは、一人一人の人間が生まれながらにして元々、アクティブ・ラーナーだったということに気付くこと、再発見することにつながるものでなくてはならない。

乳幼児は、外界に興味・関心を示し、手を触れ、口に入れようとする学習行動を行うアクティブ・ラーナーであるが、「主体的・対話的で深い学び」を行っているとは言い難い。私が「アクティブ・ラーニング」という言葉を大切にしたいと考える理由の一つはそこにある。

人間はそもそも「学習する存在(Homo Discens)」であり、「学習者が自ら主体的に学ぶ学習」(Learning)が中心で、指導者の役割は副次的なものと位置付けられる。

この連載では、教育現場を巡る社会環境の変化に対応して、学校が本来あるべき姿「学習する学校」(Schools that Learn)への階梯を上っていくために、教員の役割の変化と組織体制の進化の方向性について考察していくことを目的とする。