学習する組織 コーチングで変革へ(4)馬車を起源に送り届けるへ

eye-catch_1024-768_honma京都造形芸術大学 副学長 本間正人


コーチングには多面的な側面があり、文脈によって、さまざまな角度から定義することが可能だ。

教育現場においては、まず「自発性と可能性を引き出すコミュニケーション」と定義しておきたい。

一般に「自発性を引き出さないと人は動かない」。これが、人間社会の大原則といえる。例外的に、軍隊では命令すれば部下がその通りに動く。それは「命懸け」だからである。マズローの欲求段階の最下段に位置する「生存欲求」に関わる状況なので、兵卒は司令官の命令に従うのだ。

しかし、生命が脅かされない状況では、仮に命令で動いたように見えたとしても、それは表面的なものだ。教師や親が「勉強しなさい」と命じれば、「勉強するふり」をする子供は多い。ただ、本心から発した主体的な学習行動になっているかといえば、大いに疑問だ。

「コーチ(coach)」という単語の起源をさかのぼると、15世紀に馬車が製造されていたハンガリーの村の名前(Kocs=コーチ村)にたどりつく。英語の語彙としては、「馬車」という名詞として用いられたのが初出とされる。

その後、大学のメンターやスポーツの指導者が“coach”と呼ばれるようになり、次第に「大切な人を、現在いるところからその人の望むところまで送り届ける」という動詞の意味が派生した。

さらに1990年代初頭になると、現代社会の文脈に展開され、教師が学生・生徒の、上司が部下・後輩の、プロのコーチがクライアントの「自発性や可能性を引き出すコミュニケーション」がコーチングであるという用法が確立した。同時に、コーチングを学ぶ教育機関が生まれ、誰もがこうしたスキルを学びやすい体系に整理されたのである。

スキルの分類方法は流派・流儀によりさまざまだが、おおむね「傾聴」「質問」「承認」などに収斂れんする場合が多い。

ただし、「コーチング=スキルセット」と捉える見方は、浅薄になりがちだ。特に、教育現場においては、教師が外から与える「ティーチング」に慣れすぎている場合が多いので、単にスキルを学んだだけでは、なかなか「引き出す」のが難しいようだ。

つまり学生・生徒などの学習者を主役であると捉え、自分自身を「馬車=脇役」であると認識できる、教師の「在り方=being」がカギだといえる。コーチングを学ぶことは、自らの「命じたり、教えたりしたい欲求」(それはしばしば心理的優位に立ちたい願望につながる)を克服する人間的成長の機会となるのだ。