本と人との「知」の化学反応~実践ビブリオバトル~(10) 大学生へのビブリオバトルの実践② 自由と多様性を認める

eye-catch_1024-768_biblio-battle筆者が授業で心掛けている2つ目は、自由や多様性を認めることである。その点、ビブリオバトルは余分なルールがなく、最もシンプルかつ自由なプレゼンテーション形式であり、こうした教育目的にふさわしい。

例えば、前回紹介した筆者の「プレゼンテーション入門」の授業における3つのバトルのうち、シネマバトルはビブリオバトルと全く同様の発表形式を用いている。異なるのは、題材が映画か本かというだけに過ぎない。もちろん、大学生レベルならニュース解説を題材にするのも可能だし、自らの研究テーマについて語ってもよいだろう。

生協書籍部に並ぶバトル本の数々
生協書籍部に並ぶバトル本の数々

小学生や中学生なら、社会科の学習も兼ねて、好きな国や歴史上の人物について発表するのはどうだろうか。さらに高校生以上なら、英語でのビブリオバトルも面白い。留学生との交流も進みそうだ。夢は広がる。

このように、ビブリオバトルの今後を考える上で重要なのは、「多様性」や「包摂」というキーワードである。残念だが、ビブリオバトルの実践者の中には、2つの異なる考え方があるように見受けられる。1つはプレゼンテーションとしてのビブリオバトルを重視するもの、もう1つは「とにかく本(読書)が大事」という考え方である。

しかしながら、プレゼンテーションの巧拙か、それとも選んだ本の内容かという議論には、すでに答えが出ている。ビブリオバトル創設者の谷口忠大氏は、著書『ビブリオバトル 本を知り人を知る書評ゲーム』(平成25年、文春新書)で、そうした二律背反に異議を唱え、どちらも大事であるとしている。

プレゼンテーションのスタイルについても、人によって温度差があるように思う。例えば、本連載の第1回目で、スピーチとビブリオバトルの間には「本質的な差」があるという指摘があった。だが、多様で自由なビブリオバトルという形式は、従来のお固いスピーチという形式をも自らに取り込んで、その全てを包摂できる可能性がある。そのとき、両者の差はない。

実際、教育現場でも街中でも、実に自由で多様なビブリオバトルが展開されているはずだ。原稿を丸暗記したようなスピーチ形式のもの、あるいはアドリブ満載の愉快な発表。どれが正しく、どれが間違っているかは一概には言えない。読者にはぜひ、第1回目に紹介されている、ビブリオバトルの公式ルールを再読してほしい。基本ルールはこの4つだけだ。ビブリオバトルは自由で多様なのだ。だからこそ、普及させる価値のある優れた教育ツールだと私は思う。

大西好宣(千葉大学教授)

(おわり)

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