「学び」とは何か― 認知科学からの視座 ― (2)なぜ母語の知識は生きた知識なのか

eye-catch_1024-768_imai_fin慶應義塾大学教授 今井 むつみ

子供は語彙が少ないうちから母語を果敢に使い、コミュニケーションを取っていく。慣習的に大人が使う言葉を知らないとき、自分で新しい言葉や表現を創り出すこともある。例えば、ある子供は、おばあさんが客に「ソチャですが」と言いながらお茶を差し出すのを聞くと、「ソ」はお客さんに言うときの枕として付けるのだと考え、自分の猫を見せて「ソネコです」と言った。

考えてみれば子供はどのようにして言葉を覚えていくのだろうか。多くの人は「大人に教えられて覚える」と考えるのではないだろうか。例えば、果物かごにある林檎を指して、これは「リンゴ」と教え、「赤い」と教える。

実際にはこの状況は非常に曖昧だ。「リンゴ」や「アカ」という音の連なりは目の前の林檎のどの部分を指すのだろうか。林檎全体だろうか。色だろうか。香りだろうか。

仮に、「リンゴ」が目の前の林檎の全体に結び付けることができ、「アカ」を林檎の色に結び付けることができたとしても、それだけで「リンゴ」や「アカ」の意味が分かったとは言えない。他のどの対象に「リンゴ」や「アカ」が使え、どの対象には使えないのかを判断できなければ、これらの言葉の意味を学習したことにはならないのだ。

大人は言葉の指す1つの対象は示しても、その範囲を教えることはできない。子供は言葉の意味を自分で考えて、言葉を覚えるしかない。そのとき、必ずすでに知っている語と関係付ける。例えば「ネケ」のように、はじめて聞く言葉を耳にしたときに、名前を知っているモノと、名前を知らないモノがあれば、「ネケ」はまだ名前を知らないモノの名前だと考える。

ときには、新しい語を知るとすでに知っている語の範囲を修正することもある。例えば、羊のことを「ヤギ」と呼んでいたのが、1匹の羊に対して「ヒツジ」という言葉で呼ばれることを知ると、広く取り過ぎていた「ヤギ」の範囲を自分で狭め、「ヤギ」と「ヒツジ」を区別するようになる。

子供はこのようにして、母語の言葉1つ1つを、すでに学習した言葉と関係付け、その意味を考え、その言葉をすでに持っている語彙の知識と統合する。その過程を全て自分で行うので、母語の言葉はすぐに新しい状況に使える「生きた知識」となるのである。逆に、定義を教えられて、それを暗記しても、その定義が自分の知識と統合されなければ、その言葉は生きた知識にはならないのだ。

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