「学び」とは何か― 認知科学からの視座 ― (8)教育現場の常識を疑う

eye-catch_1024-768_imai_fin慶應義塾大学教授 今井 むつみ

新しい概念を導入する場合、学習者が理解できるように分かりやすく説明し、簡単な内容から順を追って徐々に難易度を上げていくというやり方は、今でも教育現場の常識と考えられていると思う。

今、人の認知の仕組みから考えると、このような常識は必ずしも深い学びに結びつかない。新学習指導要領や大学入試改革で重要視されている学力は、情報を自ら能動的に探し、自分の知識体系に統合して、そこから新しい知識を創造する能力である。このような能力を育成するためには、学び手が常に「すぐに理解できる」状況にあることは良いこととはいえない。

すぐに理解できてしまう情報は、そのときには「分かった」と思っても、深い情報処理がなされないことが多いからである。内容を理解するために関連する知識を探索する必要もなく、深い情報処理はあまり起こらない。新たに教えられる概念と、すでに持っている知識体系との統合もあまり起こらず、新しい情報は既存の知識の上に、ほんの少し追加されるだけになってしまう可能性が高い。

それに対し、すぐに理解できない、適度に難しい内容に対して、意欲のある学習者は持てる知識を総動員して内容を理解しようとする。そのとき、もちろん持っている知識で未知の情報の行間を埋めるため、必死で推論をする。これは学ぶ力を向上させるために非常に良い効果をもたらす。

必要な知識にアクセスし、推論のために使うことは、知識の定着を促し、時には、既存の知識を一時的に壊し、再構築をもたらす。さらに、脳の情報処理ネットワークを発達させ、思考に必要な情報処理能力自体の向上につながるのである。

関連して、まず体系的に概念の説明をしてから問題を解くという標準的な学習順序も、いつも生きた知識の創造に有効とは限らない。未学修の内容でも、まず子供に問題を与え、解決法を探究させた後で、必要に応じて、少しずつ概念説明をする方が深い学びにつながる場合がある。未知の概念について考え、探究することで、さまざまな疑問が生まれる。学びにとって大事なことは、何が分かっているかではなく「何が分かっていないかが分かる」ことだ。

先生に最初から分かりやすく説明してもらうより、自分から未知の概念を理解しようと挑むことで、自分の理解に足りないことはないかを必然的に考えるようになり、それは深い情報処理と知識の統合につながるのである。