「学び」とは何か― 認知科学からの視座 ― (10)生きた知識を育てる学びと教育

eye-catch_1024-768_imai_fin慶應義塾大学教授 今井 むつみ

生きた知識は、必要なときにすぐに取り出せて問題解決を導き、新しい知識を生み出す知識である。そのためには、その知識が孤立した断片ではなく、知識の体系の一部となっていなければならない。体系の一部というと、機械の部品の一つのように、固定化された全体の決まった部分のようなイメージを持ってしまうかもしれないが、それは全く違う。

知識は明快な境界を持つ固定的なものではなく、関連する情報が入るたびに、再編成がなされて変化していくアメーバのようなものである。それぞれのアメーバ様の要素知識(概念)は、互いに関連付けられクモの巣のような密なネットワークを構成する。脳の中では、ある概念がアクセスされると、それにネットワークでつながった別の概念群も活性化される。

つまり、新たに学んだ内容は、このような知識ネットワークシステムの中で、さまざまな文脈で何度も何度も繰り返し使われ、他の概念と多角的に関係付けられてはじめて、生きた知識となり、いつでも取り出し可能な身体の一部となるのだ。

アクティブ・ラーニングとは、生きた知識を育てる学習であるはずだ。しかし、そもそも何をすればアクティブ・ラーニングになるのだろうか。グループで協調学習をすればよいのだろうか。逆に暗記は悪いことなのだろうか。

暗記の全てが悪いわけではない。将棋の勉強は棋譜を暗記することから始まる。しかし、それはただの暗記ではない。プロ棋士は駒の一つ一つの意味を考えながら、見なくても並べられるように暗記し、その過程を何度も繰り返すそうである。それによって、その棋譜は身体の一部になる。英語も同じだ。単語だけを日本語訳と結び付けて暗記しても意味はない。

しかし、英語の文章をパラグラフ単位で暗記するのは有効だと思う。もちろんそのとき、文章を機械的に暗記するのではダメだ。例えば、日本語の文に訳してみて、それを英語の文に戻す。そのときに暗記した元の文を思い出すだけではなく、同じ文意を別の表現でできないかも考える。こういう練習を日常的に行うことで、英文は頭に叩き込まれ、英語で文章を作るときに単語や文型、表現が自然と口に出るようになるだろう。

認知科学の視点からのアクティブ・ラーニングとは、特定の形式ではなく、学び手が知識を探究し、自分の中に取り込み、吟味し、使う練習をすることによって、生きた知識を身体化する過程を指すのである。

(終わり)