変容する生徒指導―模索する学校現場―(1)すれ違う生徒指導をめぐるまなざし

修正_eye-catch_yoshida弘前大学准教授 吉田 美穂

生徒指導とは何か――。

文科省の『生徒指導提要』によれば、「授業時間や休み時間、放課後、部活動や地域における体験活動の場」など、学校生活のあらゆる場面で展開される、「一人一人の児童生徒の人格を尊重し、個性の伸長を図りながら、社会的資質や行動力を高めることを目指して行われる教育活動」である。そこには、(1)児童生徒に自己存在感を与え(2)共感的人間関係を育成し(3)自己決定の場を与え自己の可能性の開発を援助する――という視点が求められ、「問題行動などの目前の問題に対応するだけ」であってはならないという。

しかし、中学校や高校の学校現場において、生徒指導という言葉は、しばしば「問題行動にどう対処するか」「問題行動を起こさせないためにどのような指導体制をとるか」といった、より限定された問題意識で使われている。

社会の注目が集まる生徒指導を巡る事件でも、基本的には「問題行動」とみなされるものへの学校側の対処の在り方が問われている。最近では、担任や副担任による不適切で過剰な叱責が要因となったとされる福井県の中学生の自死や、明るい色の地毛を強制的に黒く染めさせ、不登校に追い込んだとして裁判になっている大阪府立高校の頭髪指導などが、その例である。「生徒指導をきっかけ、あるいは原因とした子供の自殺」を「指導死」と呼ぼうという提起が遺族からなされたり、「ブラック校則」をなくそうという運動が大きな反響を呼んだりしている。

このような事態を考えるとき、文科省の示す広い意味での生徒指導の目指すものと、日々、学校現場で起こっている生徒指導を巡るさまざまな葛藤とは、どこかで大きくすれ違っているように見える。

言うまでもなく、生徒指導の結果として、生徒の生命が失われたり、不登校に追い込まれたりしていいわけがない。それには、誰もが同意するであろう。では、なぜそうしたことが起こってしまうのか。「行き過ぎた」「不適切な」生徒指導は、どのような状況の中で成立してしまうのか。

私は、生徒指導の困難度が高いとされる学校も含め、神奈川県の公立高校で長く教員を務めてきた。この連載では、教員の日々の仕事と、そこにはらんでいる困難に寄り添いながら、問題の背景を探る。そして、中学・高校の生徒指導の在り方を変容させていくためのアイデアを提示していきたい。