変容する生徒指導―模索する学校現場―(2)問題行動への指導がはらむ困難

修正_eye-catch_yoshida弘前大学准教授 吉田 美穂

学校は、生徒指導上、生徒に「望ましい」行動を求める。自我が芽生え、自分らしく生きようと格闘する思春期の生徒は、しばしばそこからはみ出す。「望ましくない」以上、教員は指導しなければならないのだが、そこにはいくつもの困難が横たわっている。

第一に、学校の「望ましさ」の基準が、しばしば絶対的なものではない。頭髪・服装規定はその典型であろう。現に、私服で頭髪も自由な学校もあれば、細かな制服・頭髪規定がある学校もある。時代や社会状況によって「望ましさ」は変化するし、個人によって基準も異なる。教員自身も学校を異動したときに、指導方針の違いによって、昨日まで注意する必要のなかった行動を「問題あり」として注意しなければならない局面に立たされることがある。日本では組織的な生徒指導が強調されるため、多くの教員は一時判断を停止し、周囲に合わせる。

第二に、事実の認定そのものの困難である。特別に指導するためには、前提となる事実の確認から始めなければならない。確認しやすい事案もあるが、難しい事案も多い。特に生徒間のトラブルでは、個々の生徒が異なる「事実」を主張したり、「事実」について異なる解釈をしている場合もある。そうした中で、合意できる「事実」を積み重ね、保護者も含め関係者に指導方針を受け入れてもらわねばならない。

第三に、問題行動への指導にも多様な方法やスタイルがあるが、どれも確実に本人の内側からの行動変容を促す保障はない点だ。反省文を書かせたとしても、次に同じことを繰り返さないとは言えない。反社会的行為に対しては「毅然とした対応」を取らなければならないが、「行き過ぎた」指導があってはならない。実際、どのような口調・態度で、生徒にあたればいいのか。生徒が従わないとき、どうしたらいいのか。突発的に発生する問題行動そのものや、指導過程での生徒との応答は瞬時の判断の積み重ねだが、それを実践的かつ体系的に学ぶのは難しい。結果として、経験値の少ない教員の場当たり的な対応が生じたり、現場で編み出された方法やスタイルが見よう見まねで継承され、その学校独自の生徒指導の型が経験的にできあがったりしている。

本質的に不安定で不確実な状況の中で、生徒指導が営まれていることは、問題を考える上で忘れてはならないだろう。次回は、不確実性を内包した学校が、どのような方向性で生徒指導上の課題に対応してきたのか、その歴史をたどってみたい。